レースシーンで進化を続けた名車・フェラーリF40がモータースポーツで築いた真価とは?

2025.11.16

FERRARI F40

かつて「日本一のフェラーリ遣い」と呼ばれた太田哲也が、1993年から1997年にかけて試乗した数々の貴重な跳ね馬のインプレッションを、当時の興奮をそのままにお届けします。
今回は、レースシーンで活躍したF40のレーシングマシンで、各地のサーキットで戦った太田哲也が語ります。

ITALIA SUPERCAR GT F40

日本のGTレースが本格化する1年前の1992年、イタリアのスーパーカーGTレースが、現在世界中でGTレースが盛況になっている発端であったことに異議を唱える者はいないだろう。1993年になるとフェラーリF40を初めとして、ジャガーXJ220、フェラーリ348ポルシェ911などのスーパーカーが登場し、エキサイティングなレースへと発展していく。そのレースの模様は一部の自動車雑誌を通じて知るしかなかったが、レースファンのみならず、クルマが好きな人たちにとっても、たいへん興味深いものであっただろう。

大いに盛り上がった1993年シリーズのチャンピオンを獲得したのは、マルコ・ブランドがステアリングを握ったSHELL F40であった。フェラーリのGTカーのワークス的存在で、イタリア・パドーバに本拠を構えるミケロットがマシンを製作し、ミラノに本拠を持つ名門チームであるジョリー・クラブが走らせたこのチャンピオン・マシンは、同年フェラーリ348でクラス2チャンピオンを獲得したオスカー・ララウリと共に1994年末に日本へやってきた。チーム・タイサンF40の2号車として第二の人生をおくるためにである。

ボクがこのマシンのステアリングを初めて握ったのは、1994年のJGTC最終戦美祢サーキットの公開練習だった。

そもそもイタリア・スーパーカーGT選手権のレギュレーションは日本のそれよりも厳しく、ほとんどノーマルに近いもので、それだけに改造箇所が限定されていて、エクステリアは我々の乗っていたF40よりも地味なものであったが、それでもF40 LMのパーツを流用し、スライド式のサイド・ウインドウやドライバーへのベンチレーション・システムがついたサイド・ミラーに変更されていた。そしてフロント・セクションのフレーム形状は、ノーマルと明らかに違う箇所が見受けられ、おそらくシャシーにも手が加えられて剛性の向上が図られていることが想像できた。

このF40は、ピレリ・タイヤの特性と、開発を担当していたララウリ選手のドライビング・スタイルが影響して、独特なセッティングが施されていた。それは、コーナーに鋭角的に突っ込んで一気に向きを変え、スロットルをドカンと開ける彼の走り方に合わせてあり、足はガチガチに固められ、ネガティブ・キャンバーも強くセッティングしてある。

ララウリのスタイルは、グリップの「美味しいところ」を探っていくような、日本人的スタイルのボクのドライビングとは大きな違いがあって、ボクにとってそのクルマはアンダーステアが強すぎて運転しづらかった。イタリアのレースが約120kmと短いことから、日本のようにタイヤを持たせる方向ではなく、あくまで速さを重視したサスペンション・セッティングに仕立て上げられていたことも印象的である。

ENNEA FERRARI CLUB ITALIA F40 GTE

1995年のル・マン24時間レースには、3台のフェラーリF40が出場した。総合優勝こそマクラレーンF1 GTRに持っていかれたが、予選ではマクラレーンを下してどのGTマシンよりも速く、F40がGTクラスの1、2、3位を独占した。デビューから8年を経過した現在でも、F40が第一線級の速さを備えていることの証明だろう。

予選1位はゼッケン41のFマンチーニ、Mモンティ、Gアイルス組のフェラーリ・クラブ・イタリアF40 GTE。2位はゼッケン34のMフェルテ、Oテペナン、Cプラウ組のパイロット・アルディクスF40。そして3位はLデラ・ノーチェ、Aオロフソン、そしてボクがドライブしたゼッケン40のフェラーリ・クラブ・イタリアF40 GTEだった。

40号車と41号車のF40はフェラーリ本社に拠点を置くフェラーリ・クラブ・イタリアと、F1以外のレーシング・フェラーリを仕立てるフェラーリの準ワークス的存在であるミケロット、そしてデラ・ノーチェを中心とするエネアとのジョイント・ティームで、メインテナンスはミケロットのスタッフが行っている。以前に紹介したF40コンペティツィオーネをフェラーリ社からの依頼で製作したのもミケロットである。

F40 LMの発展型マシン、エボルツィオーネを意味する「F40 GTE」を名乗る40号車と41号車は、ミケロットがLMで得たノウハウをベースに、クーリング対策のためフロント・カウルをモディファイし、18インチ径のホイールとタイヤを履くためフェンダーを全体的に拡大したり、LMのウイングにさらに手を入れたりと、より実戦的な変更が各部に施されている。

F40のシャシー剛性はノーマルの場合ロードユースでは充分だが、やはりレースに使用するとなると剛性不足の感は否めない。JGTCのタイサンF40もそれに悩まされていたのだが、GTEではボディを一度全部バラして新たにシャシー補強を施している。それを証明するかのようにシャシーは裸の状態でシルバーに全塗装され、そこに頑強なロールケージを取り付けてから組み上げられる。それでいて重量はカーボンやチタン等の軽量パーツを惜しみ無く使い、レギュレーションぎりぎりの1050kgしかなく、JGTCを戦ったチーム・タイサンのF40よりも軽いのだから驚きだ。

実際にステアリングを握ってみると、ボディが捩れないからクルマに変な動きがなく、常に安定してタイヤが接地しているのが分かる。

ブレーキはブレンボ製で、フロントが8ポット(!)、リアが4ポット・キャリパーを組み、ディスク・ローターはフロントがΦ380×32.0㎜厚(!)、リアはΦ325×30.0㎜厚に容量アップされている。それだけに効きは強力無比の一言。壁にぶち当たったような効き方をする。タイヤはフロントが306/645-18、リアに325/680-18のピレリ製のスリックを履く。サスペンションはル・マンということもありタイヤの耐久性を考えて柔らかめにセットされている。

ミッドに搭載されるエンジンは3リッターにスープアップされており、ターボチャージャーもIHI製の大型タービンを持つタイプに換装している。それに伴いコンピューターのプログラミング変更、エンジン内部のチューニングにより、エア・リストリクター(空気流入制限装置)の装着を義務付けられているにもかかわらず、650PS/7500rpm、66.0kg-m/6300rpmまでチューンナップされている。ちなみにブースト圧は何とノーマルの2倍の2.2バールだ。

パワーもトルクもスペック上では極めて強大だが、実際のところ有効パワーバンドが狭く、ターボラグもタービンが大きくなっただけに信じられない位大きい。バラついていたかと思うといきなりパワーがドッカーンと炸裂する感じで、これに較べたらノーマルのF40のターボラグなんて可愛いモンだ。

中高速コーナーやストレートの速さはマクラレーンを凌ぐ程だが、回転が落ち込むタイト・コーナーではスロットルを開けてもすぐに加速せず、立ち上がりで、エンジンがバラバラとバラついている間に、自然吸気のマクラレーンがピューと逃げていってしまう。

そのためドライビングはパワーバンドを外さないように神経を遣う。コーナーのはるか手前からスロットルを開け、あらかじめターボに排気ガスを送り込んでタービン回転数を上げておき、パワーバンドの始まりを、加速ポイントにぴったりとシンクロさせるように上手くタイミングを取ることが大切なのだが、これが滅法難しい。ターボ車の運転は多かれ少なかれ、こうしたテクニックが要求されるが、なにしろF40 GTEときたら、コーナーに進入する時からスロットルを開けているような感じなのだ。早すぎてスロットルを戻すようでは論外だし、かと言って遅いと立ち上がりが極端に悪くなってしまう。そのさじ加減が難しいのだ。でも上手くできた時はとっても気持ち良い。立ち上がりでパワー・ドリフティングをかけ、さらに回転を上げコーナーを立ち上がれるのだ。

マシンの性能を引き上げられるだけ引き上げて、人とのインターフェイスはさほど顧みない。