FERRARI 250 Le Man Berlinetta
かつて「日本一のフェラーリ遣い」と呼ばれた太田哲也が、1993年から1997年にかけて試乗した数々の貴重な跳ね馬のインプレッションを、当時の興奮をそのままにお届けします。
今回は、跳ね馬初のミッドシップGTである、フェラーリ250ル・マン ベルリネッタです。

ドア・ノブに人差し指を掛け親指でリリース・ボタンを押す。窓にアクリル製のスライド・ウインドウがはめこまれたアルミ製のドアは、人差し指1本で開けられるほど軽い。
ノブの脇にはゼッケン照明用のライトが取り付けられていて、このクルマがル・マン24時間などのナイト・セッションのある耐久レースを前提としていたことが伺い知れる。
極めて低いサイドシルを跨ぎ、クラシカルな雰囲気の肩までのバケットシートに滑り込む。コクピットは2座席のミッドシップにしては広くて開放的だ。中を見渡すとパイプフレームが張り巡らされていて、チューブラ・フレームの構造が見て取れるが、ドライバーが触れる部分、例えばサイドシルのパイプ等は綿入りのビニールシートで覆う細かな配慮もなされている。
コクピットを可能な限り前進させたレイアウトを採るため、フロントのタイヤハウスの膨らみが室内に張り出していてペダル類は中央寄りにセットされ、シートもそれに合わせていくぶん中央を向いている。ペダル類の間隔は現代のフォーミュラカー並みに狭く、細身のレーシング・ブーツでなければ踏み替えが難しいだろう。
フロント・ウインドウは強く傾斜しているが、スクリーンがラウンドして回り込んでいることと、シートが寝ていることから、ヘッドクリアランスには充分な余裕があり、快適にドライビングができそうだ。
跳ね馬のマークが中央に刻まれた細身のステアリングを握ると、手が伸び切った昔風のストレートアームのポジションとなるが、操舵力は現代のレーシング・カーほどは重くないので、これでも問題はない。
この時代のレーシング・フェラーリの伝統に則って、このLMもライト・ハンド・ドライブである。ボクが93、94年のル・マンでステアリングを握ったフェラーリ348LMフェラーリ348 LMは右ハンドル、今年のフェラーリF40 GTEは左ハンドルだったのだが、右ハンドル車は、ピットを通過する他車を気にせずにドアを大きく開いてドライバー交替ができる有利さを実感している。
但し、250LMのシフトはフェラーリ348LMやPシリーズなどのプロトタイプ・カーのような右シフトではなく、通常のGTのようにセンタートンネルから突き出ている。これはGTに対するこだわりなのだろうか。とにかくこの方が乗降性が良いことは間違いない。
アルミ製のシフトノブはおそらく何万回もシフトチェンジが行われたのであろう、黒く光っている。フェラーリ伝統のゲートが切られたシフトは手前が1速になる5段変速で、1速の上がリバースだが、走行中のリバースへのミスシフトを防ぐためにF40コンペティツィオーネのような可倒式のガイドが取り付けられている。またシフトミスでオーバーレブさせないように可動式のインターロックも組み込まれている。これはシフトレバーと連動して動き、一段低いギア以外には入らないようにゲートをふさぐ機構で、特に耐久レースでは大きなアドバンテージとなる。ギアボックスはノン・シンクロ・タイプのドグ・ミッションで、停止時にはスムーズにエンゲージできないが、走行中は適切な回転に合わせさえすれば、どんな素晴らしいシフトフィーリングを持つスポーツカーであろうと太刀打ちできないほど、素早くそして気持ち良くシフトチェンジができる。ポルシェとは違って、ほとんどのフェラーリのコンペティションモデルにはドグ・ミッションが採用されている。
走行前に計器類のチェックをおこたってはいけない。ダッシュ上の狭いクラスター・パネルから奥をのぞくと1万rpmまで刻まれたレブ・カウンターが中央にセットされ、両脇には水温計と油圧計が配置されている。ル・マン等の長距離レースでの夕暮れ時は、光が乱反射してメーターが読みにくかったりするのだが、LMの奥まった位置にある計器類はそうしたことを考慮し、実戦での使い勝手をよく考えて作られていると思った。
ステアリング左脇には4個のスイッチ類、その右横にイグニッション・スイッチがある。
視線を落とすと、右下に燃料計、燃圧計、油温計が並んでレイアウトされ、その脇にはレーシング・カーとしては珍しくサイドブレーキも取り付けてある。左助手席前方には後年になってとりつけられた速度計まであった。
アクリル製のリア・ウインドウを通してルームミラーに映る後方視界はミッドシップとしては抜群に良い。250 LMのコクピットが、現代のレーシング・カーのようにタイトではなく、広くて乗降性や居住性が高いのに少々驚いた。現代のプロトタイプ・カーやGTレーシング・カーが空力効果や限界性能をぎりぎりまで追及した結果、ドライバーは邪魔者扱いをされているかのように設計されたマシンも見受けられるが、普段そうしたクルマに乗っている身としては、250 LMのドライバーは羨ましいかぎりだ。
イグニッションをオンの位置に捻る。「チッチッチッ」と、電磁ポンプの作動音。燃料が送られて音が止まったら、スロットルを少しばかり踏み込んで、キーを押し込む。スターターが回り、長くクランキングした後、「クォーン」とV12が軽やかに目覚めた。LMは250 GTOと同じV12を搭載するが、250 GTOのエンジン・サウンドが「グァーン」という迫力ある音であるのに比べて、LMは「クォーン」と、もっと硬質で高音だ。エンジン搭載位置の関係で、聞こえてくる方向が違うという理由だけでなく、LMのエンジンの方がGTOよりも高回転型だからかもしれない。それにしても甲高く物悲しいフェラーリ・ミュージックは、いつ聞いても素晴らしい。暫くのあいだ聞き惚れてしまった。
On The Track
250 LMの発進には少々コツが必要だ。1速ギアは発進用というよりも、ローリング・スタート用で、走行中にも使用することを前提に、高いギアが組み込まれていて、さらに低回転ではトルクが薄いエンジン特性、ダイレクトに繋がるツインプレートのレーシング・クラッチ、これらがデリケートな操作を要求するのだ。
重いクラッチを踏み込み、手応えの強いシフトノブを手前に引く。ドグ式のギアが噛み合って「ギャン」と1速にエンゲージされる。ストロークが小さいクラッチを足首だけの微妙な動きでリリースし、ストールを防ぐためタイミングを合わせてスロットルを踏み込むと、250 LMはするするとFISCOのピットロードを走り出した。
2速にシフトアップして本コースに合流、120km/hで走るカメラカーを追走する。いつものように最初は写真撮影だ。様子を伺うため回転を5000rpm程度に低く抑えて走ってみるが、この速度だと高速コースのFISCOを1速と2速で事足りてしまう。それほど高いギアが組み込まれているのだ。ル・マンだったらぴったりだ。ミュルサンヌやインディアナポリスのタイトコーナーでは1速を使うのだろう。FISCOのヘアピンやシケインは1速でぴったり合っていた。
エンジンはV型12気筒SOHC、排気量3.3リッター、6基のウェーバー・キャブレターを装着し9.5〜9.8の圧縮比、ドライサンプ潤滑により300bhp/7500rpmを発揮する。ホモロゲーション・シートによれば、最高速度は292km/hをマークするという。
このクルマのオーナーである松田コレクションの、メンテナンスを担当する圓岡氏によれば、「まだキャブの調整が今一歩なんだよねえ」ということだった。確かに低回転ではトルクが薄かったが、だからと言ってバラつくようなこともなく、なかなかどうしてエンジンの調子は良好、特に5000rpmを超えると、30年も前のコンペティション・モデルとは信じ難いほど、吸いこまれるように吹け上がる。目に付きやすい外装だけでなく、実際に走らせてみて初めて分かるエンジンやブレーキ、そしてサスペンションにもしっかりした手が入れられている。そんなことにも感心した。
圓岡氏は「回るところまで回していいよ」と、言ってくれたので、今回は8000rpmまで引っ張ってみたが、その気になれば9000rpmまで楽に回りそうで、1万rpmまでのレブ・カウンターはこけおどしではない。現代のレーシング・エンジンと較べても、さほど遜色がないほどのパワーがあり、フィーリングも良い。
ゲートが刻まれたフェラーリのドグ・ミッションは操作に少々コツがいるが、タイミングと回転をきっちり合わせれば吸い込まれるようにスムーズにエンゲージできる。そうした時、何とも言えぬほど気持ちが良い。ゆっくりと走っていた時は、スロットル・ペダルが低くて、ヒール&トウがやりにくかったのだが、スピードを上げてブレーキを強く踏み込むと、調度良い位置にスロットル・ペダルが来るのである。全体的にハイ・ギアードだが、各ギアはクロースしているから、高回転型のエンジンの「美味しい領域」をすべて使い切ることができる。
この日、FISCOのおよそ1kmのストレートですら、軽く250km/hをオーバーしていたから、ル・マンならホモロゲーション・シートにある最高速を軽くマークしていたことだろう。ユノディエール・ストレートをV12サウンドを響かせて疾走する真紅の250 LMのうっとりするような姿が目に浮かんできた。
LMのパフォーマンスを試す
撮影を終え、いよいよ全開だ。
250 LMは猛獣のように甲高く吠えながら最終コーナーを3速フラットで駆け上る。6000rpmを超えると回転上昇の勢いが加速度的に速まり、レブ・カウンターの針が小刻みに震えながら8000rpmを一気に飛び越えようとする。その瞬間、最終コーナー立ち上がりの縁石の脇、ストレートの開始部分で4速にシフトアップ。
息を継ぐ間もない程すぐにコントロール・ラインを通過して5速へ。トップ・ギアに入れても、250 LMは加速を鈍らせるどころか、ぐんぐんとスピードを上げていく。
250km/h。第1コーナーの200m前でブレーキング開始。アウト側コースぎりぎりにクルマを寄せる。僅かに見える左フェンダーの膨らみが目標だ。ヒール&トウを使って右足の踵でスロットル・ペダルを叩くように煽りながら回転を合わせる。5速、4速、3速、2速、1速とシフトダウン。
250 LMは車高を落とし、獲物を狙う豹のように低く身構える。
ブレーキをリリースし、サスペンションが伸び上がろうとするほんの一瞬のタイミングを捉えて、ステアリングをコーナーのアペックス目掛けて切り込む。フロント荷重の少ないミッドシップを運転する際には特にこのタイミングが大事だ。伸び上がってからでは前輪荷重が減り、グリップが低下してしまうからだ。そして高いスピードを保っていることも重要である。
弾かれたように鼻先が「くい」っとインを刺し、カミソリのように切れ込んでいく。アンダーステアとは無縁で、ミッドシップの鼻先の軽さの恩恵を実感する。
ミシュラン・ラジアルが悲鳴を上げ4輪がスライドを始める。が、前後バランスがとれていて修正舵は少なくてすむし、滑り方がスムーズだから、クルマの「次」の動きを予想しやすく、ドリフトのコントロールも難しくない。
クリッピング・ポイントからアクセル・オン。すると250 LMは今度はテールを沈め、抜群のトラクションを持った後輪が路面を蹴って強烈に背中を押し出す。ぞくぞくするほど気持ちが良くなってくる。横方向へだらしなく滑ることがないから、わずかにカウンター・ステアを当てるだけで事足りる。250 LMはコーナー出口の赤白の縁石に向かってドリフトしながら猛然とダッシュした。
ミッドシップのアドバンテージ
この250 LMが装着するタイヤはロードユース・バージョンだったこともありフロント250/70VR15、リア215/70VR15サイズのミシュランXWXで、現代のスリックと比べるとグリップが低く、限界自体は高くはない。またサスペンションも当時のタイヤの性能を使い切るために柔らかくストロークさせている。現代のレーシング・カーがグリップの高い高性能タイヤを装着し、空力を最優先させて、サスペンションをがちがちに固めているのとは対称的に、250 LMはメカニカル・グリップを重視しているのだ。それが限界時のマイルドな挙動を生み、滑り出しの感覚の掴みやすさに繋がっている。
一方、フロント・エンジンのクルマで足を柔らかくすると、ブレーキング時にピッチングが大きく前のめりが大きくなり安定性が失なわれて、限界が低くなってしまうことにも繋がる。ミッドシップだと足をストロークさせても重り(エンジン)を後に積んでいるため、ブレーキング時にリアが浮き上がる量が少なく、4輪が沈み込んで安定しているし、立ち上がりでは後ろが重いから、駆動輪に直接荷重が掛かりビッグパワーを確実に路面に伝えられるのだ。今回250 LMに実際に乗ってみて感じたことは、先代の250 GTO(FRレイアウト)と比べてコーナリングの通過速度が圧倒的に速いということだ。このフェラーリ最初のミッドシップGTが、それまでのフェラーリGTカーの進歩の延長上にあるのではなく、大きくジャンプアップを遂げているモデルであったことを、今回実際にドライブしてみて実感した。
もし250 LMが、FIAにGTとして認められていたとしたら……その後のフェラーリのGTモデルは、あるいはフェラーリのGTレースへの取り組みも違った道を歩んでいたかもしれない。










