FERRARI F40 CONPETIZIONE
かつて「日本一のフェラーリ遣い」と呼ばれた太田哲也が、1993年から1997年にかけて試乗した数々の貴重な跳ね馬のインプレッションを、当時の興奮をそのままにお届けします。
今回は、F40でもさらに高性能なF40コンペティツィオーネです。

フェラーリ F40 コンペティツィオーネ
94年5月、GT選手権開幕戦富士スピードウェイ。そのレースにたった一台だけ出場したフェラーリF40が第3位で表彰台に上がった。それは大方のレース関係者にとってはもちろん、実際にステアリングを握ってレースを戦ったボクにとってさえ意外なことで、F40のポテンシャルの高さに、あらためて驚かされたのだった。
高価なスーパーカーなんだから速くて当たり前じゃないか、という人がいるかも知れない。が、それは違う。なぜならボクらの直接ライバルである日産スカイラインGT-Rは、日産ファクトリー・チーム、NISMOの手により造られた市販車とは全く別物の純レーシング・カーで、グループAやN1などのレースで何年も揉まれ、熟成されて、その販売価格も、F40のそれを遙かに凌いでいる。
一方、ボク達のF40は全くの市販車がベースで、レースのためのモディファイを始めてからたった1ヵ月、公開練習の日の朝にできあがった急造マシーンで、ダンパーとスプリングで足を固めてスリック・タイヤを履き、ブレーキを大型化した以外は、レースに出るための必要最小限の手を加えただけの限りなく市販車に近いままだった。その上F40が日本のレース・シーンに登場したのは史上初めて。セッティングのデータがあるわけじゃなく、これから煮詰めて行かなければならない発展途上のマシーンだったのだ。
それでも最高速度は、僅か1kmのストレートで出場マシーン中最速の300km/hをマーク。予選タイムで見ても、何台かのGT-Rを食っている。
つまりフェラーリF40は、市販車のポテンシャルがかなり高いということ。スペックだけのコケ威しではなく、真の実力の持主であるということを証明して見せたのだ。フェラーリは、そんな恐るべきスーパー・スポーツカーを市販したのだった。
ところが上には上がある。今回、松田コレクションの松田芳穂氏の許しを得て、とあるマシンで同じステージを走ったボクは、さらに凄い市販フェラーリの存在を肌で知ったのだった。
その名はF40コンペティツィオーネ
1988年7月。フェラーリ社の創立40周年を記念して、1台のかつてなかったほどの高性能を持った市販フェラーリが発表された。それがF40だ。それまでの288GTOや288GTOエヴォルツィオーネの事実上の後継車種にあたるF40は、478HP以上の最高出力を発揮するパワー・ユニット、1t程度という軽い車体を持ち、最高速度324km/hという圧倒的な速さを可能にした限りなくレーシング・マシンに近いロード・ゴーイング・カーだった。それをベースにして更なるパフォーマンス・アップを果たしたモデルが、今回試乗を許されたF40コンペティツィオーネである。
このマシンの計画は、フェラーリのセミ・ワークスといえるフェラーリ・フランスがデリバリー直後のF40をいち早く入手し、1989年のル・マン24時間レースに新設されたGTC部門にエントリーすべくマシン製作をカロッツェリア・ミケロットに依頼したところから始まっている。ル・マン仕様のF40はほぼ完成したが、しかしGTCのエントリーはこれ1台のみだったためFISAFはこの部門を不成立とし、戦いの場を失ってしまうのである。ところがその年のIMSA GTO/GTUの第4戦に、このマシンは突如姿を現し、F1パイロットのジャン・アレジのドライブによりいきなりクラス2位を獲得した。フェラーリ・フランスはアメリカのIMSAに戦いの場を求めたわけだが、この年と翌年にスポット参戦しただけで、これ以降は本格的なレーシング・フィールドには姿を現していない。このマシンに端を発し、フェラーリ社が同様の手法で純粋に走ることだけを追求してたった10台だけ製作した中の1台が、今回のF40コンペティツィオーネだ。
フェラーリが生んだ純潔のサラブレッド、F40コンペティツィオーネは、そのシルエットこそノーマルF40と似ているが、中身は大きな進化を遂げている。外観はフロント・スポイラーの下にリップが追加され、リア・ウイングは大型化された2枚構造で、上部は可変式となる。フロント・カウルは放熱用の大きなエア・アウトレットが口を開け、ヘッドランプはリトラクタブルが廃止となり丸型4灯となっている。室内はただでさえ皆無に等しかった贅肉がさらに削ぎ落とされ、軽量化が施されている。肝心のパフォーマンスには、さらに驚かされる。エンジンはV型8気筒DOHC 2936ccにツイン・ターボ、というところまではノーマルF40と同じだが、コンピュータ・システムの変更やインタークーラーの大型化、ブースト圧のアップなどで何と780HP/8100rpm! を発揮している。もちろんそれに合わせて足回りやブレーキも強化されており、ダンパーにはコニのレーシング・タイプを採用し、スプリングもバネレートの高いものに変更された。前後とも車高調整式となり、スタビライザーも径の太いものに変更され、バンプ・ラバーもより硬いものが採用されている。ブレーキはドリルド・ディスクのφ355へと大型化された。ホイールは前後ともOZレーシングでフロントが12J、リアが14J、タイヤはグッドイヤーのレーシング・スリックがセットされ、サイズは同様に24.5/12.5-17、27.5/14.5-17となる。このタイヤ・サイズを考えただけでも、F40コンペティツィオーネがただ者でないことが理解できる。最高速度は370km/h以上と発表され、フィオラノのテスト・コースをノーマルより10秒も速い1分48秒で周回してしまうモンスター、それがこのF40コンペティツィオーネなのだ。
めくるめく加速感はまさにワープ感覚
ピットに佇んでいたF40コンペティツィオーネの軽いドアを開けると、まず目に飛び込んでくるのが、進入者を拒むかのように立ち塞がるロール・ケージのバーだ。半身に構えてバーを跨ぎ、足からコクピットに潜り込む。真っ赤なバケット・シートに座ると、ステアリングの間からノーマルF40と異なるデジタル表示の計器盤が覗く。このマシンに備わるパラ・メーターは、ボクらがグループCカーなどで見慣れた通称ブラック・ボックスと呼ばれるものではなく、フェラーリ・オリジナルのデザインが施されたものだ。計器盤の表示画面を“CH”と書かれたチャンネル・スクロール・ボタンを押して切り替えれば、速度や回転、燃圧、油温、吸入温度のほか、合計22種類のデータを知ることができる。
シートをスライドさせてドライビング・ポジションを決め、サベルト製のフル・ハーネス・ベルトで身体を縛り上げる。ステアリングの右側には、ブレーキの前後配分を調整するダイヤルが見える。その下に電気の総ての回路を切るカット・オフ・スイッチ。その左にあるイグニッション・スイッチを右に回し、アクセルを僅かに踏み込んで左側のスターター・スイッチを押すと、猛獣の雄叫びのような轟音を挙げてF40コンペティツィオーネが目覚めた。今日のボクの仕事は、この780HPの魔物を全開で操縦すること。その声を聞いた瞬間に身震いがした。
しばらく暖気運転を行い、水温が80℃を超えたことを確認する。踏み応えのあるF40のクラッチよりさらに重いペダルをグッと踏み込む。シフト・レバーを手前に引き、ガコンという強い手応えを掌に感じながら1速に送り込む、というより叩き込む。シフト・レバーは見た目こそノーマルと同じだが、中身はシンクロメッシュ機構を持たないドグ式のレーシング・ミッションだ。
発進にはコツがいる。ノーマルのF40ならばターボのブーストが上がらない3800rpm以下でクラッチをミートさせて何とか走り出すことはできる。しかし、コンペティツィオーネのエンジンはバラついてそれを許してくれず、まともに加速しようとしない。高い回転数を保ってスタートすることが必要だ。クラッチ・ペダルをていねいに5mm戻し、同時にアクセルを5mm踏み込む。冷え切って本来の1割程度の性能しか発揮しないスリック・タイヤがいとも簡単にホイール・スピン、テールが左右に振れる。ステアリングで修正しながら、さらにアクセルを踏み込んでいく。
手のひらにガコンという衝撃を伴って2速、3速、4速、とシフト・アップ。レーシング・ミッションが発するヒュイーンという大きな音を引き連れてピット・ロードを飛び出した。
まだタイヤが本来のグリップ力を発揮していないマシンは不安定に細かく蛇行し、ストレートですらアクセルを開けることさえままならない。暖まるまで用心しながら抑えて走り、タイヤのグリップの手応えを感じられるようになってから右足に力を込める。――行くぞ!
シケインを2速から3速にシフト・アップして立ち上がる。フル・ブーストの掛かった780HPの信じられないようなパワーが炸裂し、強力なグリップを誇るはずのワイド・スリックをいとも簡単にホイール・スピンさせてしまう。背中がバケット・シートにめり込み、ヘルメットの中で頬が引き吊る。
それは、線上の加速ではなく、点と点をつなぐワープ感覚だ。あっという間に最終コーナーの入口にいる。200km/h。4速にシフト・アップし、アクセル全開のままアウト一杯から最終コーナーに突入する。入口では締め上げられた足がロールを抑え、がっちりと路面を鷲づかみにするが、横Gが最大となるクリップ付近で、耐え切れなくなったリア・タイヤがブレークし滑り始める。歯を食いしばってアクセルを全開にしたまま、小さくステアリングを戻して滑りを抑える。もしこの時、恐怖感に襲われて弱気になり、アクセルを急激に戻したとしたら、荷重が減ったリア・タイヤが一気にグリップを失い、スピン、コース・アウト、全損となることは間違いないだろう。
最終コーナーを立ち上がり、赤日のアウト側縁石の終わりで5速にシフト・アップ。ここから1コーナーまでストレートは約1km。流れる景色が後ろ向きにグングン加速していく。250km/h。まだ加速する。全開で走るF40の後ろ姿が前方に見える、と思ったら、次の瞬間には軽々と抜き去っていた。
まるで“普通”の高性能スポーツカーが3速で加速しているようなフィーリングがトップ・ギアでも続く。そこからの加速力は、あきらかに日本のトップフォーミュラであるF3000マシンを凌いでいる。
コーナリング速度の高いF3000マシンは2、3、4速で充分にスピードに乗せ、トップ・ギアの5速に入れるときにはすでに最高速度に近い領域に達していて、そこからの加速は少しずつしか伸びて行かない。
一方、F40コンペティツィオーネの加速は、グループCカーのようにストレートに出てからブレーキング直前のストレート・エンドに至るまで、吸い込まれるように常に加速状態にある。こちらのほうがドライバーに掛かる威圧感は大きい。
300km/h。遠くの景色があっという間に近づいて、引きちぎれるように溶けていく。F40コンペティツィオーネは、まだ加速を止めようとしない。このマシンはグループCカーそのものだ。
フェラーリの底力
F40は公道を走れるレーシング・カーだ、という人がいる。それはF40がレーシングカー並みのパフォーマンスを持っている、という意味だろう。ボクもその意見には賛成だ。
そもそもレーシングカーは広くフラットな、Rの大きいコースを走るためだけに造られたクルマで、狭くてギャップだらけの公道を走るのは法的にはもちろん物理的にも不可能だ。
ところがF40は、レーシング・カー並みのパフォーマンスを見せながら公道も充分に走れる。そこも凄い、とボクは思う。
しかし本来相反するものを両立させようとしているのだから、純粋なサーキット・ユースに無理があることは致仕方ない。GTカー・レースではそこに手を焼きながらセッティングを煮詰めていかなければならない。それがボクを含めたレーシング・チームの仕事だ。
ところがどうだ。F40コンペティツィオーネは、レーシング・シーンにスポットを当て、フェラーリ自身の手ですでにその仕事を終えている。それも、ほとんど完璧に近く。
フェラーリが生産するスポーツカーは、たとえそれがノーマルであったとしても、第一級のパフォーマンスを発揮してボク達を驚かせてくれる。そしてあくまで少量ではあるが、まるでグループCカーのようなマシンを製作し、それも市販してしまう。あたかも自らの底力の強大さを誇示するかのように。フェラーリというメーカーは、何という桁外れのパワーを持っているのだろう。F40コンペティツィオーネのコクピットから降り立ったとき、ボクは今までよりもっと強くフェラーリに惹き込まれている自分に気がついた。










