ル・マン初挑戦の現実|フェラーリ348LMと異国チームで味わった栄光と悪夢

  • 太田哲也
2026.02.01

FERRARIと太田哲也

かつて「日本一のフェラーリ遣い」と呼ばれた太田哲也が、1993年から1997年にかけて試乗した数々の貴重な跳ね馬のインプレッションと、当時のレースシーンをそのままにお届けします。
今回は、太田哲也とフェラーリが出会ったきっかけを、数回に分けてお送りするレポートの2回目です。

初めてのコース。始めてのフェラーリのレーシングカー。始めてのヨーロッパ人チーム

シンプソン・フェラーリ348LMは、380PSを発揮するV8を搭載し、クラス2にエントリーする。ボクにとって初めてのGTマシンであり、始めてのフェラーリのレーシング・カーでもあったから、乗る前はどきどきしていたのだが、実際にステアリングを握ってみると、CカーとグループAの中間的なマシンで、思ったよりも扱いやすいクルマだった。最高速はル・マンの2kmもあるロング・ストレートで290km/h程度。350km/h以上に達するCカーに比べれば、それほど怖くはない。

むしろチームに溶け込むことのほうが不安だった。もちろん今までに何人かの外国人ドライバーと組んだ事はあるし、海外テストの際など、チーム全員が外国人スタッフということもあったけど、ディレクターはあくまでも日本人だったから、物ごとの進め方は、常に知ってる方法で行われていた。それに対して今回はヨーロッパ人のチームにボクが唯一人の外国人として参加するのであり、どんなやり方をするか全く分からないし、最初はなかなか乗せてくれないから、きっとあまり歓迎されていないんじゃないかと思ったりもした。日本人を間近で見たこともないかもしれないし、例えばボクについてデビットから良い評価を聞かされていても、本当のところはわかりゃしないと思っているかもしれない。その上、彼等の早口の英語は聞き取りにくくて、これから1週間彼等と一緒に寝食を共にしながらレースをやるのは大変だなと思っていた(実はそんなことは全然なくって、とってもアットホームで親しみ深い連中だったのだが)。

一番の不安はコースに対するものだった。ル・マンのコースは1周が約13km。ご存じのようにその大半が公道である。事前にレンタカーでコースを見学に行ったけど、「本当にこんな所を走るの?」と言った感じで、普通のサーキットとは難しさの桁が違う。その上、公道を閉鎖する事もあって練習走行は一切なく、いきなり予選から始まるのだ。実際にレーシング・カーで制限速度を200km/h以上もオーバーして走ってみると、レンタカーの時とは景色が全く違って見える。というよりも回りの景色がよく見えない。

ミュルザンヌコーナーの先、280km/h、5速アクセル全開で駆け下りる高速ブラインドカーブは谷底に落ちて行くジェットコースターのようだし、300km/h近くでフルブレーキを敢行するユノディエールストレートでは、どうしても早めにアクセルを離してしまう。乗る前はできるだけ多く周回を重ね、コースをじっくり見てからペースを上げようと考えていたのだが、オイル漏れなどのマイナートラブルに見舞われたシンプソン・フェラーリは満足に走ることができず、やっとボクの順番がきたときは「残り時間がないからすぐにクオリファイ(予選アタック)をやってね」と言われる状況であった。

ル・マンを走って5周目にタイムアタックをしろなんて、そんなの無理だ!!、と思いながらも、嫌われたくないから「OK」、と明るく答えた。意を決して2周目からアクセルを踏み込んでみるが、次のコーナーが右か左か分からないもんだから、怖くなって勝手に右足がすくんでしまう。「踏め」とヘルメットの中で大声を出してみても、ボクの右足は主人の言うことを全く聞こうとしない。しかたなくひとりで走るのは諦めて、速そうなポルシェRSRについていったら、なんとチーム内でベスト・タイムをマークすることができた。チームの全員は大喜びで迎えてくれ、これをきっかけに信頼を得て、名誉のスタート・ドライバーの役に推されることになった。

2日間に渡る予選が終わり、翌日の金曜日はスタートを明日に控えての休息日である。シンプソンチームは、野外パーティーと洒落こみ、チームオーナーのワイフの料理にボクたちは舌鼓をうった。

予選ではもう少し歩み込みたかったし、順位も後の方だからもちろん満足というわけではない。しかしスタート・ドライバーだから、マシントラブルで乗れないことは有り得ないし、スタートを確実に切って、ル・マンを走りましいた、ル・マンはこうでしたよ、と報告すれば、スポンサーの人達も応援者も、きっと納得してくれるだろう。ボクにとっては新たなスタートを切れたのは間違いないのだから、今回はこれでよしとしよう。それにしても2年前は、何もなかったんだからなあ。いよいよボクもル・マン24時間レースで走るのか。「復帰」は順調に進んでいる。そう思ったらだんだん楽しくなってきた。

熱々のステーキを頬ばりながら夜空を見上げると、眩いほどの圧倒的な数の星たちがきらめいている。ボクの新しい門出を祝ってくれているように思えてきて、なんだかしみじみとした幸福感に取り囲まれていた。

信じられないことが……

決勝の日を迎えた。朝のウォーミング・アップ走行。ボクはサインガードの内側でホーム・ストレッチを疾走するマシンを眺めていた。突然、ピットインを知らせるけたたましいサイレンの音が耳をつんざく。コントロールラインで赤旗が激しく振られている。ウォーミングアップ走行が中止だ。何かアクシデントがあったらしい。各車、続々とピットインしてきて、サイレンの音が断続的に鳴り響く。何があったのだろう? 中止にするぐらいだから、相当に大きな事故があったのかもしれない。ボクはサインガードに身を乗り出し、ストレートを通過するはずのティームメイトのロビンが駆るフェラーリ348を探していた……。なかなか来ない。

その時、モニターを見ていたチーフメカニック、ディックの悲鳴のような唸り声がピットの中で響いた。

病院のベッドで点滴をし、鼻にチューブを差し込まれた彼が寝ている。

「意識はまだ戻らないけれどきっと大丈夫よ」と、彼のワイフがボクの手を握った。

ボクの相棒のロビン・シンプソンが乗ったフェラーリ348LMは後ろからきたワークスカーに追突されコースアウトし、コンクリートウォールにクラッシュした。トレーラーに乗って引き上げられてきた赤い鉄の塊は、醜く変形し、事故の激しさを物語っている。一瞬、違うクルマではと思ったが、確かにゼッケンナンバー72はボクらのフェラーリだった。

予選や決勝中ならまだしも、チェック走行のためのウォーミングアップでクラッシュするなんて、聞いたことがない。それも出場車中48分の1の確率だ。その有り得ないことが今、起こっている。

サーキットに戻り、観客と一緒にスタートを見る。不思議なことに、追突した相手に対する怒りの感覚は全くなかった。それよりも、自分の周りで起きていることがいまだに信じられず、何も考える気にならなかった。ただ、スポンサーに何て言い訳したらいいんだろう、と考えたら日本に帰りたくなかった。4時のスタートから6時間が過ぎ、サマータイムの遅い日がようやく暮れ始め、コース脇の見せ物小屋や観覧車の明かりが怪しく瞬く。闇の中から近付いてきて凄まじいエグゾースト・ノートを残して過ぎ去って消えて行く幾筋もの光の束を見ていた。走っているはずの自分がそこにいない。ぞくぞくするような疎外感に襲われる。過ぎ去って行く光はボクの希望だと思った。

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