FERRARI 348 SPIDER
かつて「日本一のフェラーリ遣い」と呼ばれた太田哲也が、1993年から1997年にかけて試乗した数々の貴重な跳ね馬のインプレッションを、当時の興奮をそのままにお届けします。
今回は、348スパイダーでF355の試作車をフィオラノのサーキットで追いかけた貴重な体験をお届けします。

フィオラノの風景
マラネロのフェラーリ・ファクトリーからクルマで1、2分、狭いゲートをくぐると忽然とフィオラノ・テスト・コースが現われた。1972年にオープンしたこのコースは現在もF1と市販車の開発テストに使われている。
全長は約3㎞。F1の開発テストを行うと聞いていたので、高速コースを想像していたのだが、実際はそれぞれ顔の違う14個のカーブを組み合わせたタイトなテクニカル・コースだ。「え、本当にF1が走れるの?」というのが率直な印象である。
道幅も退避路も狭くてサーキットというよりもワインディング・ロードに近い。ここで足回りのセッティングをしたクルマなら日本のワインディングに持っていってもピッタリだと思った。
テスト・コースの敷地内にあるドアと窓枠をフェラーリ・レッドで塗られたシャレた白いレンガの2階家は故エンツォ・フェラーリの部屋。中世の農家を改造したものだそうだ。
「35年間エンツォに仕えました」と誇らしげに背筋を伸ばして自己紹介をした初老の紳士が案内してくれた。彼はフィオラノの管理人である。
部屋の中には各コーナーに設置された8個のカメラから映像を写し出すモニターTVが並んでいる。これでエンジニア達は、クルマの挙動をつぶさに観察し記録する。
「もしエンツォがいれば、ル・マンにフェラーリで出場したあなたの走りを見に行ったと思いますよ」と彼は柔らかく微笑んだ。お愛想だろうけど、そう言われて悪い気はしない。なんだか、エンツォが食い入るようにモニター画面を見つめてボクの走りを見ている様子が目に浮かび、胸の鼓動が高鳴った。
壁に貼られたコース図の横にエンツォのポートレートが掛けてある。そして管理人の彼の執務デスクの上にもフォト・スタンドが・・・・・・。
彼にとってエンツォに仕えたことは誇りであり、またエンツォはいつまでも心の中で生きているのだろう。
ボクは、これからエンツォのために戦った“あの”ドライバー達のホーム・コースを走る・・・・・・。高ぶった気持ちを抑えようと窓の外に目をやると、テスト・ドライバーが繰る2台の348のプロトタイプがちょうど走り始めたところだった。
348スパイダー
フェラーリ初のミッドシップ・オープン2シーターの348スパイダーは、ベルリネッタ・モデルをもとにピニンファリーナの手により設計、開発されたものである。ボディの上にはウインド・シールドのフレームのみで、ロール・バーの類いは一切持たない。
幌はエンジン・リッドを囲むようにデザインされ、シート後方に設けられた開口部に折り畳んで収納する。その作業は手動だが、ひとりでも十分可能だ。電動機構が欲しいところだが、それによる重量増が走りに与える影響を考えると致し方ないかもしれない。
スパイダーのデビュー直後に348の1994年モデル、348GTも発表されている。もちろんスバイダーも348GTをベースとしているので、基本的なスペックは同一となる。
エンジンはエグゾースト・システムの改良により20PSほどパワーが引き上げられ、320PSの最高出力を発揮。ギアレシオも低く変更され加速性能がさらに向上している。
シャシー関係ではサスペンションに大幅なリファインが施された。中でもリア・サスペンションには大幅に手が加えられ、ショック、スプリングを変更、トレッドも2インチ(約3.2cm)拡げられた。さらにフロント・サスペンションもショックを交換しアライメントも変更したほか、ボディ剛性も特にリア部分を中心に強化されている。
こうした改良により旧モデルと比べてリアの挙動が安定し、コントロールしやすくなっている。
スパイダーは単にオープン・エアを楽しむだけの軟弱なクルマではなく、GTなみにフレームを強化し、ハード・ドライビングを前提とした本格的スポーツ・カーとして生まれており、その走りの性能もクローズド・ボディの348GTと同じレベルであると謳われている。
さて、本当にフェラーリの目論見通りだろうか。その真相をはっきりさせる時が来た。
管制室から出ると、その正面にすでに幌を掛けて準備の済んだブルーの348スパイダーがたたずんでいた。
ドアを開け真新しい革のにおいがするベージュのシートに座る。
ステアリングは例のフェラーリ独特のポジションで寝ていて上端が遠くシート・バックを起こすと今度はステアリングの間からメーター類が見えにくくなってしまう。だから適度に妥協して位置を決めることになる。因みにこの手が遠いポジションに、フェラーリのテスト・ドライバーは送りハンドルで対処していた。
彼等テスト・ドライバーが駆る348の1台はサイドのスリットがない赤い348。もう1台はリア・ウイングの付いた紺色の348。どちらもカタログにはないモデルである。そのエグゾースト・ノートは明らかに市販用エンジンとは違い、レーシング・カーさながらの豪快な音だ。
もちろん撮影することは厳重に禁じられたが、それにしてもそうした大事な試作車をボクらの前で平気で走らせてしまうのには驚いた。良く言えばおおらか、まさにイタリアンである(実はこれは翌年、発売されることになるF355の試作車だった)。
シフト・レバーを左手前に引いて1速に入れ、クラッチをリリースすると、348スパイダーは滑らかに動き出した。エンジンが奏でるフェラーリならではの素敵なミュージックに包まれて2、3、4速とシフトアップ、第1コーナーに向かう。
1周目。コースを覚えるため、はやる気持ちを抑えてゆっくり、ゆっくり走らせる。街中を想定した走りだ。
スポーツカーにありがちなゴツゴツした不快な突き上げ感がなく、思ったよりずっと低速での乗り心地が良い。ステアリングも中央付近では適度にスローで、ゆったりと走れるし、低速トルクも厚く、4速ホールドのものぐさ運転も可能で、これなら街をのんびり流すのもきっと快適だろう。ステアリングにパワー・アシストはないが、それ程重くはない。フェラーリにパワステなど無用、と言ったら乱暴だろうか。
各コーナーの入り口には路面にいくつものブラックマークがあるのに気付く。その始まりがテスト・ドライバー達のブレーキング開始地点だ。ずいぶん奥までブレーキングを我慢しているのが分かる。
3周目からペースを上げる。立体交差をくぐったストレートエンドで200km/h。このコースでの最高速をマークした。ワインディング・ロードをそこそこのスピードで走るようなハイスピードではあるが、あくまでもタイヤのグリップ限界の手前の領域では、348スパイダーには文句の付けようがない。ブレーキ踏力にダイレクトで安定した制動性能やステアリングを切り込んで行くと、深くリニアについてくるハンドリングは、不慣れなコースで大きな武器となるし、ドライビングしていることが心地好い。従来の348と比べてリアの挙動がより安定していて、サスの支持剛性が高められたことを実感した。
が、最後の最後という極限領域に追い込んだ走りを試みると、やはりリアの挙動が心許なくなるのも事実である。
5周目からアタックだ。
立体交差を越えてから一気に下るカントのない第5コーナー。ブレーキングを終えてからステアリングを切り込む、といったドライビング教本にあるような走り方では通用しない。そういう運転の仕方だと下り始めるときにフロントのグリップがスッと抜け、アンダーステアが急に強くなり、そのままのスピードではコーナーを曲がり切れないが、それを恐れてステアリングをさらに切り込んでしまうと、一気に挙動がアンダーステアからオーバーステアにリバースし、スピンモードに入ってしまう。正しい答えはコーナーのアプローチで旋回ブレーキを使うことである。ブレーキングをコーナーの中まで残してフロントに荷重を強くかけたまま、向きを積極的に変え、アンダーステアを消すのだ。リファインされた新しい348であってもそのコントロールはかなりシビア。非常に張り詰めたドライビングを要求される。
立ち上がりではカウンターステアを当てながらもアクセルを踏んでいれば挙動は安定しているのだが、躊躇して急激にアクセルを戻すと反って挙動が乱れる。
こうした点に関して開発担当取締役フェリーサ氏は「94年モデルの348GTはもちろん、スパイダーに関しても徹底的な手直しを施した」と言っていた。確かに、実際にフィオラノでスパイダーのステアリングを握ってみて、彼の言う通りその熟成は感じたが、スパイダーの挙動に神経質さが残っていて、それが極限走行時、特に高速コーナーで顔を出すのも事実である。
フィオラノでのバトル
その後30周以上も走り続け、コースと348スパイダーの癖を完全に飲み込んできた頃、前述のテスト・ドライバーが駆る348の試作車(実はF355の試作車)のテール・ランプが見えてきた。フェラーリのテストドライバーがどんな走りをするのか興味津々で追いかける。敵も、必死で逃げる。なかなか速い。しかし、このバトルで彼等の走り方を後ろからバッチリ見る事ができた。
彼等の走り方はあらかじめ“滑らせる”ことを想定したものだ。そしてコーナー通過速度よりも、立ち上り速度を重視している。コーナー奥まで突っ込むが、そこから白煙が上るほど激しくブレーキングし、ターンインの際はスピードをきっちりと落として向きを変える。クリッピングポイントからは一気にアクセル全開にしてパワードリフトさせて立ち上る。テールが大きく流れても極力アクセルコントロールは行わず、カウンターステアを素早く当てて対処する。プロストのような走り方ではなく、フェラーリのF1パイロット、アレジやベルガーのようなアグレッシブな走り方である。迫力満点!
それに触発されてボクも同じように走ってみる。そして気が付いたのは、派手で一見無謀にさえ見える彼等の走り方が、アクセルを踏み込んでいたほうが挙動が安定する348の性格を考えると、実は非常に理に適っているということだ。そう、この走り方は348にあっている。ドリフトさせたら遅くなるのが日本の常識だが、348に関してはこの公式は当てはまらない。
そのうえ何よりも、“オモシロイ”。速く走れるから楽しいのではなく、348は、運転することそれ自体が面白いのだ。それからボクはさらに20周、夢中になって彼等と一緒にダンスを踊り続けた。
日本ではテスト・ドライバーはユーザーの使用状況を想定してくる日もくる日もテストを重ねる。退屈なテストもあり、必ずしも楽しい仕事とは言えない、とも聞いている。
しかし、ボクが見たフェラーリのテスト・ドライバー達はまったく違って見えた。自分たちが楽しんで乗り、そして自分たちが楽しめるクルマを造っている。もちろんタイムやスタビリティは大事だがそれだけではない。それがフェラーリだ。そう彼等は思っているに違いない。
正直に言って348を極限状態でコントロールすることは国産スポーツカーを駆るよりもずっと難しい。また前述したように348は乗り手のミスに寛容ではないし、クルマにあった走り方を乗り手に要求してくる。もちろん本来コーナリング中にテールが滑ったからといってアクセルを急に戻す事はドライビング・ミスである。しかし日本では、それを許容してくれるクルマのことをスタビリティが高いと評価しているフシがあるのが現実である。そうした意味では348はスタビリティが高いクルマではない。しかし、乗り手が正しい方法で正確にドライビングすれば、348はドライバーを裏切る事はない。ドライビングに正直に反応するのだ。その意味ではスタビリティが低いとは言えないと思う。だからこそ、ひとたびツボにはまったドライビングができた時、とても大きな満足感を得られるのだ。348を繰ることは刺激的で楽しい。こよなくレースを愛しレーシングカーとスポーツカーだけを作り続けたエンツォ・フェラーリ。彼のこだわりはピニンファリーナの流麗な衣装をまとったスパイダー・モデルの中にも生きていた。なにしろ2時間半もの間ボクは忘我の甘味な世界でスポーツドライビングを堪能したのだから。












