ディーノ 246GTから348まで、スモールフェラーリが示す「操る愉悦」の進化【DINO 246 GT/FERRARI 308/328/348】

2025.09.07

DINO 246 GT/FERRARI 308/328/348

かつて「日本一のフェラーリ遣い」と呼ばれた太田哲也の跳ね馬のインプレッション。
今回は、ディーノ246GTから308、328、348といったスモールフェラーリです。

今なお楽しいディーノ

60年代後半に作られたディーノ246GTは、シート・バックに調整機構がなくステアリングも寝ているため、ストレート・アームに近い寝そべった古典的なドライビング・ポジションをとることとなる。

丸いシフト・ノブを握り、手前に引いて1速に送り込み、クラッチを丁寧に繋ぐと、ディーノは意外なほどスムーズに走り出した。

低回転から結構なトルクを発生し、フレキシブルな特性を持っている195PSの2.4L V6ユニットは、4000rpmを超える辺りから一段と高い音色にトーンを変え、そこから一気にレブ・リミットまで上昇する。その吹け上がりが心地良く、ついつい右足に力を込めてしまう。

コーナーでのロールは現代の目で見ればかなり大きい。幅広なタイヤを履くが、当時のタイヤは見た目ほどグリップが高くはないから、柔らかい足でタイヤの能力を使い切るサスペンション・セッティングが施されている。20年前のクルマとは思えないほどコーナリング速度が高く、また安定している。

中速コーナーにさしかかりアクセルを強く踏み込んでいくと、さすがにテールがズリッズリッと滑り始める。その滑り方は現代の良くできたクルマのようなスムーズなものではなく、あくまでも「ズリッ」なのだが、軽量な上、重量配分が良いせいか、アクセル一定のままカウンターを軽く当てれば一発で収まり、扱いやすい。

もしも当時のフェラーリ・ドライバー、マイク・ホーソンを気取るなら、アクセルをさらに踏み込み、カウンター・ステアを当ててコントロールすれば良い。そうすればアングルの大きい派手なドリフト走行もこなすフトコロの深さをディーノは持っている。

絶対的なコーナリングスピードに関してはタイヤの性能で決まってしまうため、現代のスポーツカーに比べるまでもないが、こと楽しさとなると話は別。サーキットでディーノを追い込んで走らせるのは、20年以上たった今でも十分楽しかった。

進化を刻むスモール・フェラーリ

フェラーリのステアリング・レシオはそれほどクイックではなく、またブッシュ類の逃げもあり、特に切り始めの反応がスローだ。だからコーナーの進入でていねいに切っていたのでは切り遅れてしまい、あたかもアンダーステアが強いように感じてしまう。

それを防ぐためには、セオリーを無視してターンインでステアリングをある程度までズバッと一気に切り込んでしまうことだ。そこから先は、ステアリングの動きに正確に反応する。

しかし、そうしても、荷重移動が不十分なアプローチでは、後輪のパワーに押し出されてプッシング・アンダーとなる。これはドライビングの失敗例。なにしろフェラーリは荷重移動に敏感だから、「美味しいところ」を探すのが簡単ではないが、しっかりと前輪に荷重をかけつつ切り込むことが大切だ。それができれば、クリップ目掛けてノーズが吸い込まれるように向きを変えていく。上手くできた時の手応えが楽しい。

308GTBクワトロバルボーレが240PS、328GTBが270PSを発揮するV8ユニットはまさしくデッド・スムーズ。32個のバルブと4本のカムシャフトが踊り、レブ・リミットまできれいに吹け上がっていく。乗り手は高回転域の気持ち良さについつい誘われて、いつまでもスロットルを踏み込んでいたくなる。

308/328から348に乗り換えると、その豪華な内装にまず驚かされるが、走り出すと、豪華になったのは何も内装だけでないことにすぐ気付く。308、328、348と続くスモール・フェラーリは、兄弟らしくよく似た性格を持っているが、その中でも348は格段に進歩を遂げ、完成度が高まっている。

300PSを発揮する3.4L DOHCV8ユニットは高回転域でぐんぐん回り、体感上も確実にパワフル。それでいて低回転でもトルクがあり、柔軟性があるから扱いやすい。歴代のスモール・フェラーリのパワー・ユニットの中でも飛び抜けた存在だ。

348以前のスモール・フェラーリが用いてきた横置きエンジン方式を捨て、縦置きエンジン、横置きギアボックス方式を採用したことで、エンジンの搭載位置を13cmも下げ重心を低下させるとともに、Z軸回りの慣性モーメントが小さくなり、運動性が大幅に向上した。

実際に走ってみると、煮詰められたサスペンションやシャシー効果により、328よりもターンインの際のアンダーステアが減少して前輪の接地力が強くなり、より狙ったラインをトレースできるようになった。コーナリング中の4輪のグリップ限界も高く、コーナリング性能も格段に向上している。

振り返ってみると、ディーノ246GTは20年以上前のクルマで、古典的なテイストを持ち、後継モデルとなる308/328/348とは一線を引いている。パワーユニットもV6だ(ほかはV8)。

308と328の操縦性は、パワーやコントロール性に関して、328に進歩が見られるものの、非常に似通った印象だった。

348はエンジン、ブレーキ、足回りのいずれも格段に向上している。308から328の進化を1ステップと見れば、3ステップくらい性能がアップした印象だ。

では348がベスト・スモール・フェラーリか、と聞かれると、答えるのが難しい。もちろん性能で選ぶなら、間違いなく348だが、操縦する楽しさで選ぶとなると、246の古典的フィーリングも楽しいし、308/328の楽しさが348に劣るとも言いきれない……。

フェラーリの操り方

エンジンは昔からフェラーリ最大の魅力の一つだった。高回転まで一気に吹け上がるフィーリングや、右足の動きに連動して変化する音色が実にドライバーの心をそそる。

一方、ハンドリングに関しては、モデルチェンジする度に、路面をがっちりと捕らえるグリップ力が強烈になっていく。それだけ思い通りのラインを描いて、信じられないスピードで、コーナーを抜けて行くことができるようになった。限界もそれだけ高くなっている。

しかし、だからと言って操縦が簡単になったと思ったら、それは大きな間違いだ。

タイヤのグリップ能力を超える限界領域に一歩踏み込むと、その性格が激変するのだ。進化するにつれコーナリング速度は高くなっているから、破綻をきたすスピードもそれだけ高くなり、コントロールも難しくなる。限界領域でのスモール・フェラーリ達は、滑り出しが急でコントロールが難しい。特に限界速度の高い348にそうした色が濃いのは否めない。

こうしたクルマの性能を、十分に引き出して走るには、滑らない範囲でグリップの限界を探すような走り方では無理で、かえって滑ることを覚悟してアクセルをガンガン開け、多少滑ってもアクセルを戻さずにカウンターステアで対処する、といったアレジやベルガーのような積極的な走り方が向いている。

実際にフィオラノを走るテスト・ドライバーはそんな感じで走っていたし、ヨーロッパのレーシング・ドライバーには、こういうドライビング・スタイルでマシンを駆るヤツが多い。

でも、これって相当難しい。テクニックはもちろん、気持ちの問題も重要だ。「滑ったらどうしよう」、とか「上手くコントロールできなかったらヤバイ」とか、そういうビビった意識があると、なかなかその領域に足を踏み入れることさえできないし、何かの拍子で踏み込んでしまったら、恐らくパニック状態となり、コントロールするどころではないだろう。

フェラーリで限界走行を試みる時に大切なのは、フェラーリに対する畏敬の気持ちを捨てて、両者の間に上下関係をつくることだ。「フェラーリよりも俺の方が偉い」、「俺はアレジだ」と、思い込むこと。それがポイントだ。その位の気構えがないとフェラーリを限界で操る事はできない。

特に比較的ミスに寛容な国産スポーツに慣れたドライバーにとって、フェラーリの操縦は難しいだろう。

でも、「操縦が難しい」と言うと、やっぱりスポーツ性や限界性能が劣るのでは、という声が聞こえて来そうだが、それはちょっと違う。限界領域の操縦性が「難しい」だけであり、「駄目」ではないのだ。まるで上級者向きのゴルフ・クラブみたいなもの。スイート・スポットが狭く、なかなかグッド・ショットが出ない。

が、乗り手がその性格を知って、それにあった乗り方をすれば、思い通りに走れる。

乗り手がミスをした時は、その通りに反応する。例えば、コーナリング中、テール・スライドが始まった瞬間に、驚いてアクセルを急激に戻してしまうなどということは禁物だ。アクセル・オフで荷重が減ったリア・タイヤのグリップが一気に落ちて、さらにテール・スライドのスピードが速まることになる。多分その直後、スピンするだろう。

こうしたことは、なにも限界走行だけに限った話ではない。例えばシフト操作一つをとっても、ヒール&トウで回転数を合わせないと、フェラーリは、ギアを鳴らしてあからさまな反抗の態度を示す。その代わり、息がぴったり合えば、今度は吸い込まれるようにシフトが決まるのだ。

見方を変えれば、フェラーリの難しさは、悪いことだけではない。少なくともボクはそれを歓迎している。なぜなら、スイート・スポットが狭いからこそ、常に自分の運転技術の未熟な部分をチェックできる。そして、ひとたびスイート・スポットにはまったドライビングができた時、他のクルマでは味わうことのできない「これだ!」という大きな手応えが感じられ、それが、また実に気持ち良い。単に性能だけを追求したクルマには存在しない、フェラーリならではの官能的な運転感覚がそこにある。

限界領域の走り方からシフト操作に至るまで、フェラーリは、「腕」がある乗り手には従順、その代わり下手な乗り手を徹底的に嫌う。美しい姿と声で魅了するが、付き合って見ると気を許してくれずに嫌な態度を取る。でも悪い(下手)のは乗り手の方なのだ。気に入られたければ腕を磨こう。そうすれば、フェラーリでしか味わえない満足感を得られるはずだ。

フェラーリを手にいれることはできる(と思う。ボクも手に入れたことがないので、あくまでも想像だが)。でも手に入れたからといって、物にできた訳じゃない。物にするには自分を磨くことも大切なのだ。いつかはフェラーリ、ボクもそう思っている。