現代のフェラーリに“ときめかなくなった”理由〜355/360モデナの思い出と現代フェラーリへの違和感〜

2025.09.03

フェラーリオーナーになる想像をしてみたけど・・・

ふと思った。「今、フェラーリを所有したいか?」。

最近、どうしてもフェラーリに“ときめかない”自分がいる。もしかして、今のフェラーリに自分の居場所がなくなったのかもしれない。

たとえば、何かの間違いでフェラーリの現行モデルがガレージに収まったとする。けれど、それを自分の生活にどう落とし込めばいいのか、まったくイメージが湧かない。

以前、360モデナを所有していたとき、あれで通勤するのは苦行に近かった。信号待ちではクラッチが気になり、コンビニの駐車場では周囲の視線が気になってしまった。フェラーリは日常的に使うクルマではないことを実感した。

かつては“いじれる跳ね馬”だった

それでも、328から360、430あたりまでの世代は、まだ“普通のフェラーリ好き”が手を入れて楽しめるモデルだった。運転することが面白かったのだ。サーキット走行も比較的手軽だった。

当時のフェラーリチャレンジ348/355(ワンメイクレース)では、選手の多くは街の整備工場で普通にメンテナンスしてもらっていたし、コストも今と比べればずっと現実的だった。

僕自身、その時代にフェラーリチャレンジ348/355で公式講師をしていて、さらに日本仕様車の開発ドライバーも務めていて、ブレーキ冷却ダクトを製作したり、ウイングの設定を検討するテストなど、かなり実践的に関わっていた。

それが今や、ディーラー専用のテスターがなければ点検もできず、改造なんてまず無理。“フェラーリ=手の届かない(手が入れられない?)存在”になってしまった。

今のフェラーリだと練習走行も簡単にはいかない。正規ディーラーのメカニックの随行が必要で、メンテナンスも含めて一大イベントになる。つまり「練習走行1回」でも、気軽に楽しむという雰囲気ではないのだ。

360モデナの苦い記憶

僕の360モデナは、当時話題になった2ペダルのF1マチックだった。ところが、サーキットを攻めるとすぐにクラッチがダメになった。

後期型では対策されていたのでそちらに交換したが、やはり長持ちはしなかった。クラッチ交換のたびに少なくない出費が発生し、だんだん熱が冷めてしまい、結局は手放してしまった。

今思えば、もしMTモデルを選んでいたら、今でもまだ乗っていたかもしれない。そうすれば今ごろは高騰して、「おおラッキー!」と、ほくそ笑んでいたかも・・・・・・。

そして、現代フェラーリに感じる“遠さ”

もちろん現代のフェラーリは素晴らしい技術と美しさを備えている。でも、僕にとってのフェラーリは「走らせてナンボ」「いじってナンボ」なのだ。

だからこそ、今の“遠い存在”になってしまった跳ね馬に、どうしても心がついていかないのだろう。

夢が“高嶺の花”になった日

僕にとって愛車は、ただ美しいだけではなく、自分の手で扱えるからこそ愛着が湧く。昔のフェラーリは、まだ僕ら“クルマ好きの手の届く夢”だった。

いまの跳ね馬は、その夢をさらに高く、遠くに置いてしまった気がする。

そう思うと、360モデナで苦労したあの日々すら、どこか懐かしく、そして誇らしく思えてくる。

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