いつの時代にもフェラーリF40、F50(スペチアーレ・フェラーリ)は神々しい!(書き手:高桑秀典)
2025.03.14
数年前から日曜日に取材がないときは早起きして都内での朝活に行くようにしており、その現場でラッキーなことにスペチアーレ・フェラーリたちと遭遇することがある。
一台はF40、もう一台はF50だ。いまのところ288GTOとエンツォを見かけたことはないが、もしかしたら仕事があって行けなかったときに来ていたことがあるのかもしれない。
いまやF40もF50もそれぞれ数億円で流通しているので、街中で遭遇する機会はほぼ皆無だ。ここ最近はフェラーリが集まるイベントにおいても参加台数が少なくなってきており、オーナーの皆さんがこれまで以上に大切にし始めている(完調をキープするためにメンテナンスが大変ともいう)ことを窺い知れる。
市場で望まれる数字から1台引いたものがフェラーリの限定車には適切な数字だ!というエンツォ・フェラーリの意思に則り、わずか349台しか生産されなかったF50は、いまも昔も一般道で前を走っていたり、すれ違ったりしないが、シャシーナンバー76624から95317に至る1311台が製造されたといわれているF40は、ちょっと前まで珍しい存在ではなかった。野良F40がアチラコチラの道をウロウロしていたのだ。
フェラーリの創立40周年を記念し、1987年に発表されたF40は、エンツォ・フェラーリが開発を指示し、プレゼンテーションに出席した最後のニューモデルとなった。シャシーナンバーの最後にLMやGT-Eが付くレーシングバージョンを開発したのはパドヴァにあるミケロットで、戦闘力が高い跳ね馬が’90年代のヨーロッパGTレースなどでその雄姿を披露した。
F40の後継モデルとなるF50も稀代のハイパフォーマンスモデルだったので、ローンチ時に正規代理店のコーンズ主催でオーナー向けのドライビングレッスンが富士スピードウェイで実施された。それの講師として参加したのが、太田哲也さん(挑戦し続ける仲間のためのプラットフォームであるKEEP ON RACINGを主宰)だ。
どうやらスペチアーレ・フェラーリとしてF50の前に登場したF40での事故が多かったこともあり、フェラーリ・バルケッタと呼ばれるサーキット・トレーニングを開催してからF50をオーナーにデリバリーしようと思ったらしい。そのようなヒストリーがあるF40とF50は、これからもスーパーカー好きを魅了し続けていく。