フィアット500の軌跡と現在【連載第3回】再生への布石――コンセプトカー「Trepiùno」と復活の胎動(1990〜2000年代前半)
2025.04.14
一度は生産を終えたフィアット500。
だが、その姿を忘れられなかったのはイタリアの人々だけではなかった。ヨーロッパ全体が再び「クラシック」「アイコン」「レトロ」に価値を見出しはじめる1990年代後半――この文化的潮流が、あの小さなチンクエチェントを再び表舞台に引き上げようとしていた。
■ 再評価される「小さくて、かわいい」価値観
1990年代から2000年代初頭にかけて、欧州では“レトロ回帰”のデザイントレンドが広がる。
MINI、フォルクスワーゲン・ビートル、シトロエン2CV――失われたはずの「国民車たち」が、リファインされ、現代的な技術と安全性を備えた“レトロモダン”として蘇る。
フィアットもまた、その文脈に乗らなければならなかった。
ブランドイメージの刷新、若年層への訴求、新しい都市型ライフスタイルへの対応……そのすべてを担う存在として、500の復活は自然な流れだった。
■ コンセプトカー「Trepiùno」:未来の500が姿を現す
2004年、ジュネーブモーターショーで発表されたコンセプトカー――その名はFiat Trepiùno(トレピウーノ)。
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デザインは、トリノの工業デザインスタジオ「イデア・インスティチュート」とロベルト・ジョルジェッティ。
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丸みを帯びたフォルムに、大きなランプと短いオーバーハング。
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3+1シートという柔軟な室内レイアウト。
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コンパクトながら洗練されたモダンインテリア。
この車は、Nuova 500の魂を宿しながらも、単なる復刻ではなく“次の時代の500”として設計されていた。
多くの自動車ジャーナリストが「これが市販されれば、必ずヒットする」と確信した瞬間だった。
■ フィアット社内でも議論された“復活”の是非
興味深いのは、フィアット社内においても500の再生には賛否があった点だ。
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否定派:「ノスタルジーに頼るのは後ろ向き」「安全規制に対応するのが難しい」
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肯定派:「500は“emotion”で売れる車」「ブランド再生の起爆剤になりうる」
この議論を決定的に動かしたのが、当時CEOとなったセルジオ・マルキオンネの改革的なビジョンだった。
彼は「過去をリスペクトしつつ、未来を作る」ことの重要性を理解していた。
■ 再生への準備期間とパンダとの関係
新型500の開発は、当時すでに成功を収めていた**2代目パンダ(2003年発売)**のプラットフォームをベースに進められた。
これはコスト面でも信頼性でも理にかなっており、「500の可愛さ」と「パンダの合理性」を融合させた一台が準備されていく。
この決断が、後の「新型500(2007)」の完成度に大きく貢献することとなる。
■ まとめ:眠っていた記憶が、再び動き出す
「500をもう一度」と願ったのは、イタリア人のノスタルジーだけではなかった。
ヨーロッパ中の街に、小さくて個性的で、愛される都市型コンパクトカーが求められていた。
そして、2007年――ついにフィアットは、その願いに応える新たな“伝説の一台”を世に送り出すことになる。
次回は、その復活の瞬間――新型500の登場と、世界的なヒットへとつながるストーリーをお届けします。
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