フィアット500の軌跡と現在【連載第2回】進化と多様化、そして一時の幕引き(1970〜1980年代)

2025.04.14

フィアット500(Nuova 500)がイタリアの市民生活に深く浸透し、街の風景に欠かせない存在となっていた1970年代初頭。しかし、その輝かしい日々にも次第に陰りが見え始める。

この回では、派生モデルによる多様化と、それでも避けられなかった一時的な終焉までを、当時の社会背景とともに追っていく。


■ 派生モデルの拡充:500は一家の一員へ

Nuova 500は当初、都市部の若者や通勤層をターゲットにしていたが、販売が好調となるにつれ、ファミリー層や高齢者層にもユーザーが拡大。これに合わせて、フィアットは以下のようなバリエーションを展開していった。

  • 500L(Lusso):1968年登場。内装の質感向上、メッキパーツの追加など、都市部の中流層向け“高級仕様”。

  • 500R(Rinnovata):1972年登場。価格を抑えたエントリーモデルとして位置づけられ、600ccエンジンを搭載するも装備は簡素化。

  • Giardiniera(ジャルディニエラ):リアエンジンを横置きにして荷室を確保したワゴン仕様。商用利用も多く、“小さな配達車”として親しまれた。

これらの派生モデルは、500の持つ基本設計の柔軟性と、イタリア的な「用途に応じたクルマ選び」の文化を象徴していた。


■ パンダの登場と、時代の価値観の転換

1970年代に入り、ヨーロッパ全体で自動車市場が成熟期を迎え、ユーザーの求める価値も変化し始める。より実用的で安全性の高いクルマが求められる中で、500のシンプルさは“時代遅れ”とも捉えられるようになる。

そして1980年、フィアットは新しいコンセプトカー「Panda(パンダ)」を発表。ジウジアーロのデザインによる直線的で機能性重視のボディ、前輪駆動、リアハッチの使い勝手――それはまさに“次世代の国民車”としてのポジションを狙ったモデルだった。

Nuova 500の生産は1975年をもって終了。18年の歴史に一度、幕を下ろすこととなる。


■ なぜ500は終わったのか? ― ジャーナリスト視点での考察

一見すると、500の終焉は「時代に取り残されたモデル」と見なされがちだが、そこにはより深い構造的な要因もあった。

  • 衝突安全性や排ガス規制の強化:設計の古い500では対応が難しくなっていた。

  • 高速道路網の拡充:より高性能なエンジンや、快適性が求められるようになった。

  • 多様化するライフスタイル:家族構成の変化や物流の変化に対して、荷物が積めない500は不利だった。

だが逆に言えば、それほどまでに500は“ある時代のイタリア人の生き方そのもの”とリンクしていたのだ。


■ まとめ:一度消えた小さなアイコン

1975年、トリノの生産ラインが静かになったとき、誰もが500の物語に幕が下りたと思っただろう。

しかし、イタリア人の中に500への愛着は残り続けた。

そして、それがやがて“再生”という大きな潮流を呼び込むことになる。

次回は、その間の空白の時代――そして再び500を世に送り出そうとする動きがどう生まれていったのかを描いていく。

第3回へ進む   第1回に戻る

 


フィアット500の軌跡と現在 連載一覧

【第1回】誕生の背景と“チンクエチェント”神話のはじまり(1957〜1970年代)
【第2回】進化と多様化、そして一時の幕引き(1970〜1980年代)を選択
【第3回】再生への布石――コンセプトカー「Trepiùno」と復活の胎動(1990〜2000年代前半)
【第4回】2007年、500復活――「可愛さは世界共通語」の証明を選択
【第5回】EV時代のチンクエチェント――「500e」が切り開く未来を選択
【番外編1】500を選んだ理由、そして毎日の中で気づいたこと。オーナーたちのリアルボイス
【番外編2】ビジネスに効くチンクエチェント ― フィアット500がつなぐ、ブランドと日常のストーリー