小さな毒蛇の咆哮 ― アバルト595の進化と魂 【連載第1回】アバルトの起源と“チューンド500”の誕生

2025.04.21

出典:wikipedia

― カルロ・アバルトが生んだ「小さな猛獣」の系譜

今日、アバルト595といえば、可愛らしいフィアット500の姿をまといながらも、強烈な咆哮と俊敏な走りを見せる“小さなスコーピオン”だ。しかしその歴史は、ただのスポーツグレードにとどまらない。本物のレース屋が築き上げた、筋金入りの“スピリット”から始まっている。


■ カルロ・アバルトという人物

アバルトという名前は、もはや一つのブランドであり記号だが、その始まりは一人の技術者にさかのぼる。

  • 本名:カール・アバルト(Carlo Abarth)

  • 出身:オーストリア・ウィーン

  • 元々はバイクレーサーとして活躍。事故をきっかけにチューナーへ転向

  • 1949年、イタリア・トリノにて「アバルト&C.」を創業

当初はマフラーの製造から始まり、その高性能エキゾーストは欧州中の愛好家から評価されるように。だが、カルロの目は常に“速さ”の先にあった。


■ 「500」をベースにした最小最強のホットハッチ

1957年、フィアットからNuova 500が登場。この超コンパクトカーにアバルトは目をつける。

「この小さなエンジンを、どこまで速くできるか?」

アバルトはすぐさま500をチューンし、**1958年に初代「Abarth 595」**が誕生。

排気量はわずか595cc。しかし出力は22psから32psへと引き上げられ、車重も軽く、まさに“バケモノ感”を持ったマイクロレーサーとなった。

この車が本領を発揮したのが、ヒルクライムやサーキットのスプリントレースだった。排気音は独特の乾いた金属音で「チンクエチェントが唸ってる」と話題になり、レースファンから熱烈に支持されていく。


■ Abarth 695 SS:伝説の“毒蛇モデル”

1964年、さらなる高性能版として「Abarth 695 SS」が登場。排気量をさらに拡大し、40馬力近い出力を実現。当時の500kg台の車体にそれは、完全に“レーシングスペック”だった。

  • 大径キャブレター

  • 独自設計のエキゾースト(Abarthマフラー)

  • オーバーフェンダー化されたボディ

  • レース用ステアリング&シート

このモデルは、**当時のヨーロッパの草レースやジムカーナで“無敵”**とまで言われ、アバルトの名をさらに確固たるものにした。


■ フィアットとアバルトの関係

アバルトはあくまで独立系チューナーだったが、フィアットとの距離は近かった。

フィアットにとっても、アバルトの手による“市販車ベースのレース車両”はブランド価値を高める強力な武器だった。

1971年、ついにフィアットはアバルトを買収。アバルトはフィアットの「公式モータースポーツ部門」となる。

しかし――この買収を境に、アバルトはやがてレース活動を縮小し、長い“冬の時代”を迎えることとなる。

【連載第2回】ブランドの消滅と復活への胎動(1980〜2000年代)に続きます。

 

連載目次:小さな毒蛇の咆哮 ― アバルト595の進化と魂

【第1回】アバルトの起源と“チューンド500”の誕生
【第2回】ブランドの消滅と復活への胎動(1980〜2000年代)
【第3回】2008年、アバルト595として復活
【第4回】特別仕様車と“イタリア流ホットハッチ”の確立
【第5回】EV時代を前に、小さな咆哮はどこへ向かう?

【番外編1】アバルト595 オーナーのリアルボイス
【番外編2】アバルト595 サーキット仕様オーナーの声
【番外編3】アバルト595 vs アバルト500e 乗り比べオーナー対談