サーキット走行と滝行は同じ? 極限状態が生む「心の超回復」の正体

  • 太田哲也
2026.07.13

身体が極限状態から回復すると、心にエネルギーが充填される

我ながら不思議なのだが、暑くなるほどサーキットに行く回数が増える。

普通なら「今日は暑いから家でエアコンでもつけていよう」と思うはずだ。ところが、気が付けばヘルメットを積んでサーキットへ向かっている。

サーキット走行ではクーラーを使わない。むしろエンジンを冷やすためヒーターを全開にする。走り終える頃には、クルマから降りるのもひと苦労で、ピットの床に倒れ込んで「ぜいぜい……」。

その瞬間は、「もうだめだ」と思う。

なのに、また走行予約を入れている。我ながら不可解だ。

しかしついに、その理由らしきものを、先日ラジオを聴いていて発見した!

女性パーソナリティが「滝行」を体験した話をしていた。3月の冷たい滝に打たれ、寒さで手がかじかみ、終わったあとも服のボタンを留められなかったそうだ。

ところが本人は、「つらかったけど、その後すごく元気になった」という。

さらに彼女は、「戦国時代のように、生と死が隣り合わせだった時代を生き抜いた人たちは、生きる力そのものが強くなったのではないか」と話していた。

その話を聞いて、「あれ、オレが真夏に走るのも同じじゃないか」と思ったのだ。

「生きる力」を磨く機会は少なくなっている?

考えてみれば、戦国時代ではなく、安全で快適な暮らしが当たり前になった現代に生まれて、本当にありがたい。その恩恵は計り知れない。

でも、その一方で、人間が本来持っている「生きる力」を磨く機会は少なくなっているのかもしれない。最近、心が疲れてしまう人が多いことも、関係があるのだろうか。もちろん、それだけが原因ではないと思うが。

しかし人間は昔から、困難な状況を乗り越えることで、「自分は大丈夫だ」という感覚を身につけてきたのではないだろうか。

極限状態を乗り越えたとき、「生き延びた」という本能的な実感や、それに伴う喜びを感じる仕組みが、今でも人間の中には残っているのだと思う。

そう考えると、真夏の練習走行は、「滝行効果」なのではないか。

レース中に感じる極限状態と解放されたときのギャップ

そういえば、現役時代にも同じような感覚があった。

20代の頃、マツダ・ワークスドライバーとしてグループCカー、MAZDA 787などに乗っていた。

最高速度はF1を上回り、空力が崩れれば本当に空へ飛んでしまう危険性がある。高額な乗車手当は、冗談半分で「危険負担料」だと言われた。

正直に言えば、「危なくって嫌だな」と思うこともあった。

でも、それが仕事だから、アクセルを踏まなければレースにならない。だから腹をくくって踏んでいた。

レースを終えると、当時乗っていた初代NAロードスターに荷物を積んで帰路につく。富士スピードウェイから御殿場インターへ向かう下り坂を、ゆっくりと走る。

さっきまで命を削るような世界にいたとは思えないほど穏やかで、ヒラリ、ヒラリとコーナーを抜けるたびに、「平和だなぁ」「幸せだなぁ」

「あぁ、生きていてよかった」。そう、しみじみ感じたものだ。

心にも「超回復」があるかもしれない

筋トレでは、一度傷ついた筋繊維が修復されることで、以前より少しだけ強くなる「超回復」という現象がある。

もしかすると、心にも同じ仕組みがあるのではないか。

もちろん壊すところまで追い込んではいけないが、壊れない範囲で負荷をかければ心にも超回復が起こるのかもしれない。

だから人は過酷な登山に挑み、雪山を歩き、大海原でヨットレースをする。サウナ好きの人も、「もう無理」と思うところからあと少し粘ったりするだろう。

合理性だけでは説明できない、そんなハードなアクティビティに惹かれるのは、その向こう側に「生きている」という実感が待っていることを、本能のどこかで知っているからなのかもしれない。

今年の夏も、「暑い、暑い」と言いながらサーキットへ向かうだろう。

そして走り終えると、「もう嫌だ」と言いながら床に転がる。

たぶん、またその繰り返し。

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