ロードスターの軌跡【第1回】「“人馬一体”の原点:初代ロードスター(NA型)誕生秘話」

2025.04.11

1989年、マツダは一台のライトウェイト・スポーツカーを世界に送り出した。その名は「ロードスター(MX-5)」──北米市場では「Miata(ミアータ)」としても知られるこのクルマは、失われかけていた”人馬一体”のドライビングプレジャーを現代に蘇らせた。

● 開発の背景:失われたライトウェイトスポーツの再生

1970年代の排ガス規制と安全基準強化によって、かつて隆盛を極めた小型オープンスポーツカーは市場から姿を消しつつあった。MG、トライアンフ、フィアットなど、ライトウェイトスポーツを生んだ欧州ブランドが相次いで撤退する中、マツダの一部の技術者たちは「走る楽しさ」をもう一度世に問いかけるべく、密かに動き始めていた。

● 北米チームとの協業:ひとつの夢を形に

この計画の推進役となったのが、マツダ・ノースアメリカのボブ・ホール氏。彼の提案は、ヒロシマ本社の開発陣の心を動かし、正式プロジェクトへと昇格。NAロードスターの開発は、日本とアメリカの混成チームによってスタートした。

エンジニア、デザイナー、営業担当など、部門横断で「走る歓び」に全員がフォーカスし、徹底した軽量化とシンプルな機構にこだわった。初代モデルの重量はわずか約940kg。電動装備や余計な快適装備は極力排され、5速MTとFR(後輪駆動)によるピュアな操作感が追求された。

● リトラクタブルライトと“笑顔”のデザイン

NA型ロードスターの象徴ともいえるリトラクタブル・ヘッドライトは、デザイン的な遊び心と空力性能を両立するアイコンとなった。また、丸みを帯びたフロントフェイスは「人が微笑んでいるようだ」と評され、クルマとドライバーが心を通わせる“人馬一体”の世界観を体現していた。

● 市場の反響と世界的評価

北米市場でのデビューは大きな話題を呼び、1989年のシカゴオートショーで披露された瞬間から注目の的に。発売当初から注文が殺到し、初年度には全世界で7万台以上を販売。日本市場でも「ユーノス・ロードスター」として販売され、バブル経済期の趣味性の高いクルマとして人気を博した。

NA型は、その後のMX-5シリーズの礎となり、“世界一売れた2シーターオープンスポーツカー”というギネス記録へとつながる快進撃の第一歩となった。


次回は、デザインの転換点を迎えた「NB型ロードスター」が、いかにして“原点回帰”と“時代対応”を両立しようとしたのかに迫ります。