第2回:国民車から“山の道具”へ ― フィアット・パンダ4×4の誕生とその衝撃
2025.04.25
初代パンダはその合理性と親しみやすさで都市生活にフィットする“国民車”となったが、やがてその枠を超える存在へと進化を遂げていく。1983年、世界の自動車ファンを驚かせる1台が登場した――それが「フィアット・パンダ 4×4」である。
当時、四輪駆動といえばジープやランドローバーなど、いわゆる“本格クロカン”の領域だった。まさか、全長3.3mの愛らしい小型車に4WDを積んでくるとは、誰が想像しただろうか。
世界初の“本気の小型4WD”はこうして生まれた
この企画のキーマンとなったのが、フィアット社内のエンジニア、ステファノ・マコーニ。彼は「パンダの実用性をもっと拡張できないか」と考え、スイスの山岳地帯でも安心して走れる“軽量4WD”の開発を提案した。
ところが、フィアット社内には4WD技術のノウハウがなかった。そこで彼らが協力を仰いだのが、かの名門オーストリアの「シュタイア・プフ」社。軍用車の製造も手がけていた同社は、シンプルかつ信頼性の高いパートタイム式4WDシステムを開発。これをパンダに搭載することで、まったく新しいカテゴリー――“日常使いできる本格4WD”が誕生したのだ。
軽くて、タフで、どこへでも行ける
パンダ4×4は、ボディはそのままに、車高を上げ、専用サスペンションと駆動系を与えられた。エンジンは当初、965ccの水冷直列4気筒(FIAT 100系)を搭載。車重は4WD化してもまだ800kg台に収まり、圧倒的な軽さを武器に、雪道や未舗装路を自在に走り抜けた。
舗装率の低いイタリアの山岳部や、アルプスを抱えるスイスなどではこのクルマが一気に普及。「この一台があれば、除雪されていない村にも行ける」と評されるほど、冬のライフラインとして機能した。
群を抜いた“民生性”が、文化を変えた
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ガソリンスタンドのおじさんが使い
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チーズ工房のおばあちゃんが乗り
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雪かきに行く郵便配達員が頼りにし
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スキー場のスタッフが愛車にし
気がつけば、パンダ4×4は“山の道具”として欧州中の山岳地帯で不可欠な存在となっていた。ジープやランドローバーよりも気軽に、そして軽トラよりも快適に使えるこの4WDは、人々の生活スタイルそのものに変化をもたらした。
それはちょうど、日本におけるスズキ・ジムニーの立ち位置と似ているが、パンダはさらに“日常の延長としてのオフロード”を見せてくれた。
次回予告:第3回では、90年代以降に登場した2代目パンダへと移ります。時代の変化と共に、パンダはどう進化し、何を失い、何を守ったのか――次世代の挑戦をひもときます。
【連載まとめ:フィアット・パンダという思想】
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