【連載企画:フィアット・パンダという思想】第1回:すべては“合理性”から始まった ― 初代パンダの衝撃
2025.04.25
1980年、イタリアのフィアットが世に送り出した1台のコンパクトカーが、自動車設計の概念を根底から覆すことになる。それが「フィアット・パンダ」だった。
当時、欧州の小型車市場は混戦状態にあり、多くのメーカーが「より快適に」「より豪華に」といった方向性で競い合っていた中、フィアットはあえて逆を行く。「もっと素朴に、もっと使いやすく、もっと安く」。その潔い割り切りが、時代の空気と絶妙にマッチした。
イタルデザイン×ジウジアーロ、発想の転換
設計を手がけたのは、若き日のジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザイン。彼はこの車を「ブルージーンズのような存在にしたかった」と語っている。つまり、安くて丈夫で、誰にでも似合い、どんな場面にもフィットする万能な道具としてのクルマだ。
その思想は、すみずみまで貫かれていた。
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完全に直線で構成されたボディは、生産性を高めるだけでなく、修理や部品交換も容易にした。
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すべての窓ガラスはフラットで、ドアの内張は左右共通。
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シートカバーは簡単に取り外せて、丸洗い可能。
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荷室スペースはシンプルかつフレキシブルで、まるで家具のように使える。
まるでインダストリアルデザインとユーティリティカーの融合。それが初代パンダの出発点だった。
軽量・低価格・実用性の三位一体
初代モデル(パンダ30)は、空冷652ccの直列2気筒エンジンを搭載し、車両重量は僅か700kgほど。シティコミューターとしては十分な性能で、都市部の狭い道を軽やかに走り抜けた。価格は非常に手頃で、初めて車を買う若者から、二台目を求める家庭、そして高齢者にまで広く受け入れられた。
ちなみに上位モデルの「パンダ45」には、903ccの水冷直列4気筒エンジンが搭載され、より余裕ある走りを実現したが、それでも“必要最低限”の美学は崩さなかった。
“可愛い”のに“賢い”、ヨーロッパの人々を魅了した小さな革命
外観はどこか無骨でいて、どこか愛嬌があり、使うたびに「なんてよく考えられてるんだ」と思わせてくれる。それはちょうど、北欧の家具や日本の文房具に通じるような、「美しい合理性」があった。
この初代パンダは発売直後から大ヒットとなり、イタリアのみならずフランス、ドイツ、スペインといった欧州各国で広く受け入れられた。そして気がつけば、それぞれの国で「国民車」としてのポジションすら確立し始めていた。
次回予告:第2回では、初代パンダがいかにして“ヨーロッパの国民車”となっていったのか、そして山岳地帯を駆け抜けた“伝説のパンダ4×4”誕生の背景に迫ります。
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