
“世界最速市販車”の称号
1987年の発表時、F40は公式に「世界最速の市販車」と認定された。最高速度324km/h、0-100km/h加速3.8秒というスペックは、当時のライバル――ポルシェ959(最高速317km/h)を凌駕しており、性能至上主義のスーパーカーブームに決定打を放った形である。
だが、フェラーリは数値ではなく“体験としての速さ”を重視していた。加速G、ターボの爆発的なトルク特性、遮音材を廃したコクピットに響くインダクションノイズや排気音、それらすべてが「純粋なスピードの暴力」としてドライバーに襲いかかる。
F40は“数値を体で理解する”ことをドライバーに強いるクルマだったのだ。
ジャーナリズムによる伝説的試乗記
当時の欧州・米国のモータージャーナリズムにおいて、F40に関する試乗記は「畏怖」の念に満ちていた。とりわけ印象的なのが、英『Car Magazine』誌によるテストで、「F40はもはや車ではない。制御を許された兵器である」と記されたレビューは今なお語り草である。
また、米『Road & Track』誌はF40を「公道を走るル・マンカー」と呼び、959やカウンタックと比較して“最もレーシングカーに近い市販車”と断言している。
LM仕様とモータースポーツへの野心
F40の特異な点は、「競技ベース車両としての可能性」を最初から想定していたことにある。実際、フェラーリとミケロット社(Michellotto)が共同開発したF40 LM(ル・マン)仕様は、グループBの流れをくむGTカーとして耐久レースに投入された。
F40 LMの主なスペック:
- 出力:約720ps(ブースト圧調整による)
- 車重:1050kg以下
- 6速ギアボックス(Xtrac製)
- 大型フロントスポイラーとリアディフューザー
- ロールケージ、レース仕様のサスペンションとブレーキ
F40 LMは、IMSA(北米)やル・マン24時間レース(GTカテゴリ)において活躍し、特に米国では1990年代初頭に数々の勝利を収めた。
GT仕様とGTE仕様の派生
その後も、F40をベースにしたレーシングモデルは段階的に進化を続ける。
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モデル名 |
主な特長 |
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F40 GT |
国内外のGT選手権向け(カスタマー向け仕様) |
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F40 GTE |
LMより高出力(最大750ps)、1996年まで稼働 |
F40 GTEは、最終的にはブースト圧を上げた最終進化形とされており、車重1040kg以下に対し750psという驚異的なパワーウェイトレシオを誇った。
なお、フェラーリ公式ワークスとしてのエントリーはなかったものの、ミケロットがファクトリー支援を受けて開発した事実上の“セミワークスマシン”である。
プロドライバーたちの証言
F40を語るうえで欠かせないのが、プロフェッショナルたちの証言だ。元F1ドライバーのジャン・アレジはF40を「F1からステアリングを取ったような感覚」と評し、ジョン・サーティースは「限界での挙動が誠実すぎて、逆に怖い」と述べている。
つまり、F40は“本気”で走らせるほど、その正体を露わにする“二面性”を持っていたのだ。
扱いきれない危険さゆえの伝説
F40はしばしば「扱いきれない車」とも称される。事実、1987〜90年代にかけてF40の重大事故は世界各国で多発し、その多くがオーバーステアを制御できなかった経験不足のオーナーによるものだった。
だが、その“手に負えなさ”こそが、真のエンスージアストにとっては「価値」として映った。まさに“乗る者を選ぶ”クルマだったのである。
次回予告:
第6回「現在の市場価値とF40の遺伝子 ― ハイパーカー時代への影響」では、クラシック市場での位置づけ、オークション落札価格、後継車(F50・Enzo・LaFerrari)への系譜、そして“エンツォの遺言”としてのF40の永続的な価値を総括します。
連載構成:「フェラーリF40のすべて」シリーズ(全6回)
第1回:F40誕生の背景 ― エンツォの遺言と288GTO Evoluzione
第2回:設計思想と開発体制 ― 軽量化・ターボ・空力の三位一体
第3回:F40のパワートレインとシャシー ― 極限の走行性能
第4回:F40のデザインと素材革命 ― カーボンとアグレッシブの融合
第5回:公道最速の称号とモータースポーツへの挑戦
第6回:現在の市場価値とF40の遺伝子 ― ハイパーカー時代への影響










