ブレードが切り拓く道 ─ BYDの挑戦と衝撃【第1回】電池メーカーから自動車の覇者へ

2025.04.21

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2003年、ある中国企業が倒産寸前だった自動車メーカー「秦川汽車」を買収した。社名は「BYD Auto(比亜迪汽車)」──。今でこそ世界最大のEVメーカーと呼ばれるが、当時の彼らにそんな未来は想像もできなかっただろう。

しかし、その母体「BYD(比亜迪)」は電池業界では知らぬ者のいない存在だった。創業は1995年。携帯電話やノートPC向けのリチウムイオン電池の生産で一躍時代の寵児となり、あのモトローラやノキアに電池を供給する企業として急成長。世界シェアNo.1にも輝いたことがある。

■「自動車産業=究極の組み立て産業」

創業者である**王伝福(ワン・チュアンフー)**は、エンジニア出身の実業家。自動車業界への参入を「電池と同じ組み立て産業」と見て、構造的な類似性をチャンスと捉えた。

テスラが誕生するよりも前に、電動車の未来に確信を抱いていた──というのは結果論かもしれないが、その読みはやがて現実となる。

■EV黎明期、世界に先駆けたハイブリッド「F3DM」

BYDが最初に大きな話題を呼んだのは2008年。**「F3DM」**というハイブリッドカーを世界で初めて量産したのだ。DMとは“Dual Mode”の略で、EV走行とエンジン駆動を切り替え可能な仕組み。

この動きにいち早く注目したのがウォーレン・バフェットである。彼の投資会社バークシャー・ハサウェイは、2008年にBYDへ2億3000万ドルの出資を決定。世界中の投資家がBYDに注目するきっかけとなった。

■初期の評価は「安くて性能はそこそこ」

初期のBYD車は、どこかトヨタやホンダのモデルに似ているデザインで、品質的にも「安かろう悪かろう」のイメージが拭えなかった。だが、彼らは「先に走ることで得られるデータ」に価値を見出していた。

つまり、「多少粗があっても売って走らせてフィードバックを得る」という開発思想。ソフトウェア中心の設計思想に切り替えたことで、ここからBYDの進化が加速する。


次回、第2回では「電動化技術の核心:ブレードバッテリーとe-Platform 3.0」について掘り下げます。

【連載まとめ】