「あの時」を振り返るインタビュー

1998年5月3日、雨の富士スピードウェイで発生したレース中の事故から奇跡的に生還した太田哲也さん。その後の5年間を記録したドキュメンタリー映画『クラッシュ』(2003年公開)が、現在、YouTubeで期間限定無料配信されている。
事故で負った大火傷の治療や過酷なリハビリ。家族やレーシングチームのメンバーに支えられながら、太田さんが長く苦しい闘病生活を乗り越えていく姿が映像に残されている。
事故から28年。改めて映画を見直した太田さんに、当時の葛藤や、支えてくれた人々への感謝、そして事故後の時間の流れについて聞いた。インタビュー最終回となるパート3をお届けする。
映画『クラッシュ』https://www.youtube.com/watch?v=UuMelY70N7I
「もう無理だ」と「あきらめてはダメだ」の間で

――具体的にどのようなことを思い出しましたか?
太田:治療やリハビリをしていた頃、自分がどちらに進めばいいのか悩んでいました。映画『クラッシュ』の中で、僕が「復帰は無理だ……」と思っているのに、もうひとりの太田哲也が後ろから「あきらめてはダメだ……」というコメントをしている場面があって、面白いと思いました。葛藤していたんですね。
感謝できなかった時期もあった
太田:家族やレーシングチームのメンバーをはじめ、周りの多くの人たちが僕をサポートしてくれました。感謝しています。
とくに、僕のフェラーリF355 GTが炎上したとき、自分のマシンをコース上に置いて、ひとりで消火活動をしてくれた山路慎一選手は、命の恩人です。
再びチャレンジするチャンスを与えてもらえた黒いマントの男にも、ありがたいと思っています。
普通に生活できること、仕事ができることがありがたいです。
でも、いまだから言えることですが、社会復帰の目処が立たず絶望していたときは気持ちがすさんでいて、尽力してくれた医療関係者たちにも、「なぜ助けたんだ。あのまま死んだほうが良かった」と思っていました。時間の流れが、僕を変えていったんですね。それが映像を見て感じられました。
――本心を話していただき恐縮です。『クラッシュ』が無料配信されたことで、ちょうど1998年からクルマ関連のライター・編集業務をするようになった私も、月日が経つのが早いことを再認識しました。
太田さんがこの28年間を簡単に総括できないのは承知の上でお聞きしますが、事故後の出来事を振り返ってみて、時間の流れは早かったでしょうか? それとも遅かったでしょうか?
太田:早かったか、遅かったか、というよりも、サーキットで「おかえりなさい」のイベントをやってもらって、その後レースに復帰して、その延長線上に今がある、といった感覚です。
すべてが、シームレスにつながっている感じです。
――ありがとうございます。
社会復帰の見通しが立たず、絶望していた時期もあった。それでも、治療やリハビリを経て社会に戻り、再びレースに挑戦する機会を得た。
事故から28年。太田さんは、過去の苦悩も、支えてくれた人々との出会いも、現在へとつながる時間として捉えている。
「すべてが、シームレスにつながっている」
その言葉に、太田さんが歩んできた28年間が凝縮されている。
▽映画『クラッシュ』を観た太田さんのインタビューのパート1とパート2はこちら
・「本当はレースに戻る気はなかった」太田哲也が28年後に語る映画『クラッシュ』の真意
・「自分でも知らない太田哲也を知った」映画『クラッシュ』を28年後に見直して【パート2】












