ヨコハマ、ダンロップ、トーヨー、etc。レース活動にはタイヤのしがらみもたくさんあった
2021.08.09
僕はマツダのワークスドライバーでグループCカーに乗っていた時にグループAも走っていたのだが、当然のことながらマツダ車以外は乗ってはいけないという規定があった。
F3000やグラチャンもエンジンがホンダだからダメ、という感じだったのだが、それでも乗ることができたのは色々な方のお陰で、F3000にも乗せてもらい、グループAではBMWをドライブさせてもらった。
僕がドライバーを務めていた若手の登竜門であるF3のチームも、グラチャンのチームも、タイヤはヨコハマだったのだが、グラチャンのチームが開幕前に急遽ダンロップを履くことになってしまい、アドバンワークスのグループAに乗る僕が、グラチャンとF3000はダンロップという、タイヤメーカーの競争が激しかった当時としては有り得ない、ねじれ現象になってしまった。あの時、ヨコハマのトップである水野さんが認めてくれて、OKをもらえたから、僕にとってその後のドライバー人生があったのだと言える。
FJからF3にステップアップする時にヨコハマのタイヤでやることになったのだが、その頃、トーヨータイヤのトランピオも力を入れていた。それで、実はグループAのトランピオチームに誘われ、行きたかったにもかかわらず、F3のオーナーにダメだと言われて断ったこともあった。
あの時グループAのトランピオチームに行っていたら、どうなっていたかな?でも、マツダのワークスに行けたのは、F3を選んでフォーミュラカーでのレースを続けたからなので、自分の選択は間違っていなかったのだと思う。
当時、トランピオでドライバーの統括をしていた津々見さんと、この前、試乗会で30~40年ぶりに会って、当時の話をした。「断ったのは、そういう事情だったのか」と理解してくれた。また、機会があれば、懐かしい話をしたいと思っている。