フェラーリF40はクルマ好きの永遠の憧れ

2024.04.02

先週、筑波サーキットに行ったら、隣のピットにロータス・エラン26Rがいた。そのオーナーから、イタリアから届いたばかりだという彼の未塗装のカーボンヘルメットと、綺麗にカラーリングされたヘルメットにサインを頼まれた。サインした後、「哲也さんのサインのおかげでベストタイムが出ました!」とたいそう喜んでくれた。それはよかった。

そのエラン26RのオーナーはフェラーリF40も所有していているそうだ。しまってあるガレージ(というより部屋?)の写真も見せてくれた。F40を囲むようにディスプレイ棚があり、そこには僕が1995年と1996年にル・マン24でドライブしたフェラーリF40GTEのクラブ・イタリア仕様のミニカーを小スケールからビッグスケールまで全部揃えてあると話してくれた。

当時は、グループCカーによるスポーツカー世界選手権が終焉し、それに代わる国際耐久レースシリーズとしてFIA GT選手権が始まっていた。車両規定は1996年からGT1とGT2の2つに変更され、総合優勝を狙えるGT1は、ル・マン24時間レースの主役となり、より広い改造が可能となっていた。

参加車種は、ポルシェ911、ヴェンチュリ600LM、ロータス・エスプリ、マクラレーン等々、そして僕が乗っていたグリーンとレッドのカラーリングが印象的だったフェラーリF40GTEは、フェラーリの純ワークス的存在のミケロットが担当していた。

ノーマルのF40のブーストを3倍に高めたターボパワーは凄まじく、新鋭モデル・マクラーレン をストレートで抜いていく。僕らのチームのフェラーリF40GTEは予選でポールポジションを獲得した。だが耐久性に難があり、決勝は最後までもたなかった。フェラーリって大概そうで、速さを突き詰めていて、ゴールまで持たせるためにスピードを落とすことはよしとしないみたいなところがチームの雰囲気にあった。

そもそもフェラーリって、スーパーカーブームの頃から、「サーキットで走ると本当は遅いんでしょ?」みたいなことを言われていたけど、その疑念を払拭してくれたのがF40ではなかったかと思う。
だからフェラーリ好きの中でも、特別な存在なのではないかな。

 

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